∈全てが嫌になる…。∋ |
2007年06月06日(水) |
腹痛は、一進一退です…。 また、腹痛がぶり返して、今日は、夕方まで、辛かった…。 一般的な病気の、急性胃腸炎が長引いているだけか? はたまた、とんでもない珍しい病気か? 2つに1つらしい。
「だけど、難しい病気なんか滅多になくて、前者(一般的な胃腸炎)の可能性が、臨床では多いけどね。」と、在宅医の先生には、言われた。 でも、私の場合は、クローン病も患ってるし「普通は、滅多に、難病にはならない…。」とは、言い切れないかも…。 (クローン病の再燃かは、今回の経過を追っての診断は受けられてない。在宅医の先生はクローン病をあまり理解ないし…家族も、腸炎くらいすぐに治るよ!と、通院に付き合ってくれなさそう?涙)、 あと、手足が痒くて、真っ赤に腫れて、何らかの、アレルギーらしいのです。 もしかしたら、アレルギー性の、下痢かもしれないと言われて、抗アレルギー薬を、内服することになりました。 今日も、点滴と、採血をしました。
コムスンへの厳しい処方…利用者の方には、皺寄せが来るよなぁと、思ってしまう。 だけど、いきなり明日から、ヘルパーさんが来れないとかではなく、次の事業所を探すにおいての、時間は、利用者にも、作ってくれるだろうけど。 せっかく慣れたヘルパーさんと、別れて、一から絆を作り直すのは、大変だろう…。
私も、利用していた、ヘルパー事業所が、先月一杯で、閉鎖しました。 他の事業所に変わることになったのですが、1ヶ月の猶予は与えて下さいましたが、条件が合わず(送迎は、電動車椅子でも入れる車や、重度の障害者のケアに慣れてる)などでみつからず…。 今は、ヘルパーさんも入ってない状況です…。 この体の病状では、次の事業所を探す気力もなくて…。
何か、病院から在宅に移行とか、療養型病床の減床とか、在宅死や、在宅診療所への支援とか、政府は「病院から出なさい!」案を、うち出してるけど、絵に書いた餅だなぁ!と、思わずにはいられない。 お上の人が同じ立場になれば、コネとか使うんでしょ? 有名な病院に、コネを使って、ベット空き待ちもせずに、しかも、特別室に、入院させたりできるんでしょ? 家で、畳の上で死ねますとか、在宅で自由きままな生活に、医師や看護師が伺います。 とか、綺麗事言ったって、しょせんお金がなければ、介護者さえ雇えないし、在宅は、ナースコールはないし、医療や介護スタッフはすぐに来れないし、自分と家族が、しっかりとした、強い意思と責任を問われる、厳しい暮らしなわけだ。 それがわかってる日本人って、多いんかなぁ? 自分の体に、医者や医療任せではなく、自分で責任を持つって、むしろ、日本人的には、「追い出された!」と、あきらめ的境地になるんだと思うけど…。 つい、最近まで、「入院は長いが安心」、医療高騰な国だったのに。
まぁ、そんなことはどうでもいいんだけど…。
神経内科の、転院について…。
在宅医の先生に、言われたのは、
「君にとっての、良い病院って、いったいどういう病院なの?」 「最近、病院は患者が選ぶものとか聞くけど、そうじゃなくって、良い病院とは、医師によるものばかりではなく、患者の(医者との付き合いへの)努力によるよ。」と…。
正直、耳の痛い説教だなぁと、思ってしまいました…(ごめんなさい…)。
医師への不満って、患者にとっては、つい言いやすいものなのかもだけど、もちろん、患者の医師へのコミュニケーションの取り方とかにも、責任はあるのかもしれない。 私にも、医者から、不信感を持たれてしまうような言動があったかもしれないし、感謝が足りないとか、感謝が伝わらないとか、あったんだと思う。
こういう言い方は、よくないかもだけど、在宅医の先生は、「医師をうまく使いなさい。」と、おっしゃられたのかもしれない。 気も心というか、医師も人間だから、患者のコミュニケーションの取り方によって、「この患者は診てあげよう。」とか、気持ちになるものかもしれない。
私は、今まで、パルスは入院はできないとか(痺れとかではなく、麻痺が進行しても)、最近では、予約が一杯で、2ヶ月後しか診れないとか言われて、そういうのに、えー!そんなでいいの?もっときちんと診てよ〜と、不信感を抱いてきた…という根底があるのかも。 私の体は、私自身のもので、だから、自分の病気ときちんと向き合って、治療を受ける義務があると思うの。 先生のおっしゃられるように、「難病だから」「慢性疾患だから」「他にたくさん患者がいるから」…他にもたくさんの患者さんの中にいる(治せる病気がある=病院の必要性がある)、1人の患者の私としては(治せない病気=病院の必要性はあまりない、むしろ、在宅医療の必要性)、思うように病院では、治療はできないという現実があるのかも。 だからと、私が、それをおりこうに受け止めて、自分の病気を、あきらめたり、ないがしろにしていいんだろか? そんな割り切れるものなのか? 後々、後悔はしないか? もちろん、他の誰でもない、自分の体だから、ほっておけないはず。 というか、私はきちんと診てもらいたいという意思があるし、選んだ治療(医師にしてもらうばかりの、受け身の治療や、あんな治療をされた!とグチるのではない、自分の責任で治療を受ける)を受けたいと思う。
こういう患者としての、気持ちは、間違ってるんだろか? 在宅医の先生が、おっしゃられるように、医師とうまく関係を築くのは、患者にも、コミュニケーションの持って行き方によるのかもしれない。 いわば、医師に、きちんと治療して!と、求めたり、何でも医師のせいに転化するのではなくて、患者にも、うまく医療を受けられてない責任は、あるのかもしれない。 むしろ、あるんだと思う。 だけど、医師に気を遣ってばかりで、肝心な治療がないがしろになってしまうならば(納得した治療は受けられないならば)、ほんまに、何のために、病院に行ってるのか?本末転倒になってしまうと思う。
在宅医の先生にとっては、「転院は、ドクターショッピング」と、「医師に不信感を抱く患者。」と、思われてしまったのかもしれないけど…。(本音は、わからないですけど…) 今まで、ドクターショッピングするくらい、転院しまくってないし、6年間、1人の医師と向き合ってきた結果、出した結論という、私の気持ちも聞いて欲しかったな…。 聞くこともなく、一方的に言われるのは、もういいよ…って、正直、しんどかった…。
あと、在宅医の先生は、「医師は、気持ちを抜きで、診療に当たりますよ。」と言われたけれど、どうなんだろ? 私は、思う。 医師だって、人間だ。 ぶっちゃけ、患者の好き嫌いもあるし、恋愛みたいに、一度、失恋すると、しっくりこない…というのは、あると思う。 一度、関係がこじれると、修復するのは大変なのは、医師と患者も、人間関係と同じだと思う。 在宅医の先生は、「医師は、患者が詐病でない限り、誤診はしないし、きちんと診る。」と言われたけど、私は、発病当時、心因性疾患と、誤診されたんだよね…。 医師は、神様でも、ロボットでもなくて、感情もあるし、ミスもすると、私は思ってるのだけど…。
だけど、信頼関係は、大切だから、不信感を持たないで、言いやすい関係、また医師が患者の質問に、答えてくれる関係って、大切だと思うんです。 でも、これは、理想かな…。 そこまで求めていない。 私だって、人間できそこないの、迷惑ばかり掛ける患者だから…。
紹介状を書くのを嫌がる先生もいる…(セカンドオピニオンとか、「僕に不信感を抱いてるからでしょ!」って、捉えられたりもする場合もあった…)、非難される言葉を言われて、胸を痛めてまで、紹介状をもらいたくない…と思うし。 だけど、経過が長いから、転院するには、紹介状は必要。 在宅医の先生は、「紹介状くらい、書いてくれますよ。」と言うんだけどね。 だったら、先生から「書いて下さい。」と言って欲しいよ…。 先日の、救急受診の件の、紹介状も「うちのスタッフを、信頼できないんですか!」と、勝手に受け取られて、誤解が生まれ、怒らせてしまったし、次回の受診予約も取ってもらえず、プレドニンも15ミリ内服中の中、処方してもらえなかった。 本音で言うと、医師としての責任として、どうなん?と思ってしまうよ…。 もし、私のコミュニケーションの取り方に問題があったとしても、こういう、やり方ってないんじゃないかなと思う…。 患者が困るのがわかりながら、ほら!医師に嫌われたら、自分が困るだけやろ。と、泣かされてるのか…とさえ、思ってしまう…(たぶん思い込みだと思いたい。)。
在宅スタッフにも、誤解をされてるようだし、違うのに!!!と、言っても、耳も貸してもらえないのが、悲しい…。 他の在宅のMS患者さんで、1人の医師を、転勤しても病院を追い掛けてまで、長年付き合ってる人や、入院もせずに、年に1回くらいの受診でケアできてるのに、とか言われても、同じ病気でも、個々に病状は違うし。 むしろ、病状が安定してれば、今の神経内科の先生とも、こんな風に関係が崩れなかったのかもしれない…。 そう思ってしまう私は、やはり、人間できてないのかなぁ…。
あと、訪問看護師さんからは、「パルスに何で入院したいの?」「パルスくらいで、入院してる患者さんは、ほんまにいるの?」「ただ点滴するだけで、他に何もしないで、ベットに寝てるだけやん。」と言われるのだけど、そうなんだろか? 確かに、痺れてるレベルとかならば、在宅でパルスでもいいけど、麻痺が進んだら、家での生活も大変になるし、検査とか、治療方針の立て替えとか必要で、入院も視野に入れたいと思うのは、おかしいのだろか? 在宅スタッフが、「安易に、在宅パルスを捉えてること」が、最近、怖い…と感じるようになった。 在宅で、パルスが効かないからと、療養型の老人病院へ…という考えも、私としては、簡単には、受け入れられない。 障害が進む所まで、進んだら、最終的には、そうなるのかもだけど…。 あくまでも、それは最終手段。 可能性を、探りたい気持ちは、持ってはいけないんだろか? すでに、病状は進んでるから、ほんまに、あきらめないといけないの?
今まで、私自身も、在宅でできる限り環境を変えずに、治療していきたいという気持ちもあったけど、かな〜り、在宅で、自己管理していくことに、疲れ切ってしまった。 時には、医療者の中で、適切に管理されたり、指導をもらいたい。 何が、自分にとって、プラスになり、マイナスになるのか?束縛されたい。 何をしても、よいという、だけど、全てが自己責任に帰ってくるという…自由と責任は裏合わせみたいなのは、「パルスする?」「採血しますか?」と、私の返答で、医療が進むという在宅に、ちょっと違った厳しさも感じてきた。 自分の病気のことは、自分できちんとわかってるけど、私は、どうしても医学的には、素人なんだよね…。
正直、何が良くて、何が悪いのか、わからない。 やはり、私が、わがままかな…。 もう意思もある、大人なのに、医者任せにしたいのかな、私? 自分の体も管理できないって、恥ずかしいのかな…。
もう何年も、同じ悩みをグルグル抱えながら過ごしてて。 現状を変えたいと思う。 だけど… 理想なんて、どこにもなくて、今の不満を耐えた方が、いいのかなって思いもする。 あきらめた方が、早いしね。 あきらめじゃなくて、現実を見つめるという、患者としての病気の受容の一歩なんかも。 在宅医の先生が、おっしゃられるように、患者として、人間的に努力しなくちゃいけないのかな…とか。 誤解は、解きたいとかも思うけど…。 あ〜そんな風に捉えられてる私は、私じゃなくて、誤解なのに〜! 全てが、煩わしくなって、お腹も痛いし、もう病気なんか、嫌だ! もう生きなくていいよって、思って逃げてしまいそうになる…。 こんな私だから、ダメなんだね。
あー。 私は、ダメダメ人間な、甘ちゃんだから… 生きるって、厳しいな!って、思わずにはいられない。
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