∈溢れる言葉達。∋ |
2007年04月06日(金) |
こんばんは〜♪ と、挨拶から始めてみました。
月曜に、訪問看護師さんと、ちょっとゴタゴタしましたが…。 今日、違う訪問看護師さんが来られて、双方の、すれ違いだったと…解決しました。
とりあえず、ホッ♪
処置が減れば→訪問看護に来られなくなる。と、言われたので。 だけど、今までの回数で、来てもらえるみたい。 「チェリーさんは、病状に変化があっても、電話はくれないタイプでしょ?」 「遠慮したり、様子見たり、してしまう人に見えるし…。」と言われてしまった…(汗) やはり、病状管理は必要だし、先生側も、病状を知れると、安心だから…と。
「なぜ、処置を減らそうと思ったの?」と聞かれて、「最近、そっちの調子はよいし、減らせるかも〜と、自分で思ったから。」と、素直に答えた。 だけど、在宅の患者さんは、減らしたことにより、発熱したり、病状が悪化してしまう不安があるからと、「処置を続けた方が、安心。」と言われる方も、おられるんだと。 だから、在宅医療では、一番は、私の気持ちが、大切なんだと。
たぶん、月曜の訪問看護師さんも、同じこと言ってたと思う…。 「チェリーちゃんが、どうして欲しいかが、大切。」と…。 だけど、「処置がなくなれば、訪問看護は来れなくなる。」と言われ、私の心の中に不安が溢れたんだ…。 私は、「在宅は、こうして欲しいと、求めたとしても、できることより、できないことが多いから、むしろ、ぶっちゃけで、できないことを、医療側から、まずは聞かせて欲しい。」と…。 理想論ばかり話されて、患者側が、一番困った時に、「できません。」は嫌だと思った。 そうやって、去年、病院の訪問看護部から、追い出されたトラウマがある…。
何はともあれ、必要になれば、訪問看護は増やせるし、病状が悪いのに、放置はしませんと言って下さった。 さすが、在宅ホスピスをされてるだけあると感じた。 病院の訪問看護部のように、病状に手が掛かるようになれば、他病院に入院させるなんて、医療者側の逃げはできない(全ては、医療者側の逃げではないです…。患者や家族の希望にもよるし、在宅医療に、受け皿があるかどうかにもよります。)。 家で看取ることは、もちろん家族も、大変だけど、陰で支える在宅スタッフも、大変だと思う。 だけど、大変なことばかりじゃなくて、家でいたいと願う方がおられて、患者にも家族にも、必要とされてるから、在宅医の先生は、在宅ホスピスを運営し続けておられるんだろう。 だから、決して、それは、長期入院できないからと、治療することがないから退院して下さいと、現代医療から、放り出された結果だけではない。 家で暮らしたいと、在宅医療の支えが欲しいと、願う人がいるから、在宅医療が存在するんだと、私は思うんだけどなぁ。
と、そんなわけで、ちょっと安心しました〜。 目も、何か、戻ってきたみたいな気がするし。 ちょっと、ら行が、吃るのが気になる…笑わないでね。。。
で…、今日の日記のタイトルは、このこととは関係ありません(汗)
あることに、ずっと、理不尽さを感じてきて、だけど、もしかしたら、自分が間違ってるのかも?とか、違う視点から見たら、また、違った部分が見えるのかも?とか、いろいろ考えたけど、やっぱり、私は許せねぇ…と思うこと。
表面だけ、立派なものを作ったふりして、中がカラッポなのは、許せねぇ! お金が全てな態度は、許せねぇ! 世論を、騙すのは、許せねぇ! 騙される人が、悪いと? 騙すあんたが、100%悪いんだよ! これ以上、泣かす人を、作らないでくれ…! 私は、今までの人生において、こんなに人を許せねぇ!と、思ったのは、初めてだよ!
あるあるの、納豆捏造は、納豆が売れてよかったじゃない〜♪ …みたいな似たこと言うのは、問題のすり替えは、許せねぇ!
今の世の中、世論に、振り回されずに、自分の目を信じたいと思う。 特に、ボランティアとか、良いことをしたい時には。
ボランティアという、言葉に騙されない。 愛という言葉に、騙されない。
人の為とか、愛とか、そんな簡単な所には、転がってないんだ。 それは、偽りかもしれない。(by、YUIちゃんが、人の為と書いて、偽りと、インタビューで言ってた。) そんなのに、簡単に騙されないぞ〜!と、つくづく思った。。。
そんなこんな、溢れる言葉達でした。 人を憎まず、自分を信じて、歩いてくしかないね。。。
信じたいよ、自分を。 たぶん、このことで、周りに、味方がいなくなっても、泣かないよ。泣けないよ。 ガンバル…!!!
すみません…何か、抽象的で、訳わからん文章で…。
では、皆様、良い週末を〜♪
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