99745..チェリー
弱いあたし…。
2006年11月29日(水)
今日も、腹痛で目覚めては、痛み止めを使って、1日中、テレビ付けて、ベットに横になって、ウトウトしてました。
テレビ観る、ブログ更新する、寝る、しか、してないもんなぁ…。。。

今日の、ニュースで、このトピックスに注目しました。

政府、教育再生会議が「いじめ問題への緊急提言」を決定。
「見て見ぬふりも加害者」と学校側へ指導徹底を求めた。

今週に入り、いじめ連鎖問題について、「いじめた側の児童、生徒は、出席停止。」などの提言されているわけですが、特にテレビのコメンテイターの発言を聞いてると、いじめ問題というと、結論は、どうしても精神論に行き着くように見えて…。
いじめられて自殺するのは弱いからとか、いじめる側も、弱い者いじめをするのは弱い奴だとか、精神論を持ち出す前に、現場には、今、現実的な問題があるんではないかな?

「見て見ぬふりも加害者」と当たり前なことに思えるけど、この当たり前なことを、きちんとできている大人は、世の中に、どれだけいるだろうか?
自分は苦労してきた、人生乗り越えてきたと、言えるのは、周りで守ってくれた人間を、見ていなくて、自分1人の力で生き抜いてきたと思えているからじゃないかなぁ…と感じてしまいます。。。

今の子供は、過保護に、甘やかされて育てられているから…、というのもよく聞くけど、逆に、虐待が連鎖する社会ではないですか…。
私の時代は、物資も豊かだし、戦前戦後のような苦労はなく、生きてきたかもしれないけれど、今の社会は、ほんとに、優しさが欠けた社会だと思う。
子供は、大きな心で抱きしめて、優しさをたくさん注がないと、他人に優しくできる人間には成長はしないし、他者の痛みもわからないと思います。
子供の間に、失敗して、転んでもいいのは、見守ってくれる大人がいるから。
ただ、見てくれてるって、どんなに心強くなるか…。
だから、不安で怖いことにも、チャレンジする勇気も出るし、転んだ痛みを知り、他人への優しさを、学ぶのだと思う。
1人で生きていける人間はいないし、人は必ず、人と関わって、生きてるんだと思います。

「若くして、病気や事故で死ぬ人もいるのだから、自殺はダメ!」というのも、よく聞くけれど、他人の人生を考えられる余裕があれば、自殺は選ばないだろう…。
私は、幼い頃から病気してるけれど、そうは言えない…。
だって、ついこの間までも、病気が進行したら、消えたいと思ってたし、また、今以上に体が辛くなれば消えたいと思ってしまうかもしれない。
障害が進行し、動かなくなっていく辛さもあるけど、体の痛みや体の苦痛が続く人生ならば、短くても、充実した人生の方がいいなぁとも思ってしまう…。
やりたいことが、できない人生はいらないと、我慢するばかりな人生はいらないと、思ってしまう時だってある…。
生身の人間なのだから、ぶっちゃけ、そう思う日々もあるのです。

過去に囚われたり、未来に思い煩うよりは、生きるって、今、目の前にあることを生きていくってことで、とりあえず、今日1日を生きていけばいいのだ、と思ったわけです。
ただ、それだけの思いで、生きている。

私のことを、障害を乗り越えてるとか、頑張ってるねとか、私がそうなったなら生きてはいけない…と言われることもあるけれど、誰だって、私の立場になれば、普通に淡々と生きてるだろうし、私なんかより、もっと前向きに生きてる人は、健常者や障害者、病気を患ってるとか関係なく、たくさんおられると思います。
だから、私は自分というものに、全く自信はないし、強い人間だとは言えなくて、こんな私と関わって下さる、周りの人のお陰だと、感じているんです。

いじめとか生きるとか、私くらいのつまらない人間には、簡単には言えないことであって、死んだらいけないよりも、死なないで欲しい!(私が死んで欲しくない!と思う気持ち、私のために死なないで!…という気持ちにもなるのかな…)としか言えなくて、人の生き死にって、自分が死ぬまでも、死んでからも、答えはわからないでしょう。
だけど、私なんか、ほんとに、弱虫だし、こうして書くのも、勇気が必要で、相手が悪気なく言った、人の言葉に敏感に反応してしまうことあるし…、つまらない人間だと思うけど、弱い人間だからダメとか、強くならないとダメ!とかは、私は思わない!
そう感じながら生きてる人間が、ここに1人はいることを、今私と同じように、いじめのニュースを観ながら、強くなれなくて悩んでる人に伝えたいです。

…えらそうに、ごめんなさい。。。m(_ _)m

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