∈生きていくこと、生かされている自分。∋ |
2006年11月01日(水) |
かなり、お疲れ気味…。
筋肉がガチガチに固まり、痛いよ…(ノ_<。)ビェェン
そういえば、昨日の話。
知り合いのおばさんから、「車椅子に乗るのは、自分で歩くのをあきらめてるから。」
「もう歩けなくていいや…と、歩きたい!という意志がないから。」と、言われました。
何もわからないで、わかった風に言わないで欲しい。
車椅子生活になったのは、努力を怠ったわけではない。
歩きたくなくて、車椅子に乗ってるわけもなく、リハビリをさぼって、歩けなくなったわけじゃない。
障害を受け入れることは、できなくなったことを、もういいや〜と、簡単にあきらめることではない。
歩けていた人が、歩けないことを受け入れるには、どんなに月日と、過程があるか…。
と、心の中で、葛藤してました…。
障害の受容は、私の場合、複雑なものです…。
歩けなくなったことを受け入れないと、今を生きて行けなく、だからって、二度と歩けないことを覚悟しているわけでもなく、もしかしたら、治る日が来るかも?、歩けるようになった日のために、関節を固まらないようにしなくちゃ!と、リハビリだって、頑張ってる。
リハビリも、現状維持目的だけど、もしかしたら、回復すれば?という、希望も持ってる。
だけど、現実も見つめないと、今を、生きて行けない。
歩けなかったら、歩かないままベット寝てるわけにもいかなく、車椅子で歩いていきたい。
今の私は、「歩けるようになってから、○○しよう。」とは思わなくなった。
今の私で、できることは、していこうと、思う。
様々な心境に、揺れて揺られて、日々の小さな、喜びに笑い、悲しみに泣きながら、生かされている、私です。
とりあえず、生きて行こう…から、生かされているこの命に、今は感謝を感じるようになった。
ただ、このおばさんはあまり真意はないのだろうけど(たぶん、あまり深く考えず話したと思うんだ)、親戚のおばさんとか、「もう歩けないの?ずっと車椅子なの?歩く気ないんか?」と、泣きながら話し掛けられるのには、参ってしまいます…。
親戚には、私の病気は話してないから、怪我などで、リハビリしたら治ると思ってるかもしれない。
まだ若いのに、歩かせてあげたい、優しさも伝わって来てしまい、申し訳ない気持ちで一杯になる…。
私が歩けなくなったことは、周りのいろんな人にも、いろんな気持ちを抱かせている、って思うと、障害って、一人称じゃないんだと思う。
家族も、私の障害で、周りからいろいろ励まされたり、陰口されたり、いろいろあるんだろな。
もはや、私が、歩けなくて悲しいとか、障害が進行して苦しいとか、自分のことばかり、思ってる場合じゃないんだなぁ、って。
だから、生きていくことって、むしろ、生かされてるんだと、感じるようになった。
ウッ…やはり、あちこち痛む…。
今日の日記は、これにて、おしまい☆
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