99745..チェリー
ふつうの日常
2003年06月16日(月)
吐き気止めの影響で、頭がぼんやりしてます。でも、何だかイライラが続いて眠れない。


先週末に、バルーンを抜去してから、残尿のコントロールが難しくなってしまった。
おしっこが溜まり過ぎ、お腹が痛くなる。

いつも1日1リットルは、最低量飲むようにしているのだけど(脱水と尿路感染予防のため)。
今日の訪問看護で、それ以上飲めない?と聞かれ、笑ってごまかしてしまった。
水分を取ったら取るだけ、おしっこが出来上がるから、困ったもんだ。
お腹が張って辛いわ。+吐き気が続いてるから、飲む行為そのものが苦しいのよー。

バルーンを入れれば解決するけど。
ただでさえ、車イスの移動に、あたしを抱き移すという行為に、プラス管つき。
つい管を忘れられるわ、管を引っ張られるわ、痛いわ、血尿になるわ。

もうイヤだ。
おしっこくらい、ふつうにでてよ。


在宅医療になり、今回も在宅パルスをして、いろんなことを感じた。

在宅には、在宅の良さと欠点が、入院には、入院のプラスとマイナスが。
当たり前だけど、存在するのだと思う。

在宅で日々生活しているあたしがこの頃感じることは、在宅生活は本人と同じくらい、介護されておられる家族や介護者にも支援が必要だけど、そればかりが先行しがちになると、時として、介護される本人が2番目の支援になってしまう可能性をも含むことを、念頭に置いていただきたい。

あたしは、在宅生活においては、その介護を受ける本人が主であるはず、と思っています。
(えぇ、態度でかくてすみません。)

お母さん、疲れてない?とか、何度も問われると、まるであたしが疲れさせてと…責められているようで、小さな気分に押し潰されて苦しくなる。(実際、苦労かけてはダメよとか言われる時もある。)

介護は大変な問題だけど、極力、介護量を減らすように考えているし、それは、できないことをあきらめることから、夜間の体位変換や痰出し、導尿と、介護量を減らせば、体の苦痛につながることでもある(介護はこの部分が多い)。

今の在宅生活は、家族など介護が、特定の人(いつも同じ人)が担うことになり、その心身的ストレスは想像を越えるものがあると思う。

在宅生活を続けて行くには、介護される側と介護する側が、互いを思いやること。

しかし、どちらかが、どちらか(自分や相手)を犠牲にしてまで、在宅生活を続ける意味があるのか?

在宅生活の理想は、まだまだ遠い。

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