∈8月1日 快晴!∋ |
2002年08月01日(木) |
何もない一日。 何もしない一日。 何も考えず、一日ボーッってしてた。 メールも、一通もなかったし。 さみしかったり。 いつもは、「一人になりたい。」とか思っちゃってたり。 ほんと、わがままだ、あたし、はぁー。
昨日、親とのこと。アーダコーダ書いたけど。 一晩経って、落ち着いてみて。 距離置いて、冷静になってみると・・・。 今までのこと、過去のこと、これまでの「親との関係について」。みつめてた。
あたしの両親は、共働き。 母は、これでも一応一流企業に勤める、バリバリのキャリアウーマンだった。今は、ただのおばさんだケドね。 3歳になった頃から、保育所へ通った。 三つ子の魂は、百まで。とかいうことわざを信じていたらしく、3歳までの母親と過ごした日々の記憶は後々まで大切なのだと。 それまでは、育児休暇を取っていた。
朝、保育所へ連れて行くのは、父の役目。 これでもかー!!ってくらい、泣き叫んでいたらしい。 当時のあたしの記憶は、「保育所行きたくない。早く帰りたい。迎えが遅い。さみしい。辛い。お腹痛い・・・。」 あたしは、しょっちゅう風邪、腹痛した。 それが、仮病だったのか?今の難病へのきっかけだったのか?わかんないケド。 とにかく、「保育所行く時間よ。」というと、急に体の具合が悪くなった。
大きく成長して、障害者となって、母の手を煩わすようになって、退化して・・・。 もちろん、母も仕事をやめることになった。もっと詳しく言うと、「やめさせてしまった。」・・・。 初めて車イスで退院した時。 あたしもこの生活に受けいられなく、イライラするし・・・。 そのグチは、母に当たった。 母も、この生活に精神がギリギリまで追い込まれていった。
「今まで真面目に生きてきたのに、なぜあんたみたいな子ができたのよ。」
あー。言われちゃったなー。。と思った。。。 心が、ズッシリ・・・重かった。。。
言われるだけのことを、あたしも口走ったのだから、おアイコ。 でも、未だに、この時間に、あたし一人ココロが戻っては、一人で傷ついてる。意味なしな・・・ヤツ。
病気や障害を抱えた子供を持つ親は、多少なりとも「将来への不安」は抱えてる。我が子を思えば、思うほど。
死ぬまで、自分が抱え込まないといけない問題。 無意識に襲い掛かる。重圧、重荷。 育てても、(老後)何も返ってこない。 今までの、子への期待の破棄。無気力。 未来は、暗澹たるものだらけ・・・。 なぜ、こんな子が生まれたの?
母は、「なぜ、この子を生んでしまったのか?」より、「なぜ、こんな子が生まれたか?」の方に、とらわれたようで。
「病気、障害ない子がよかった?」 「そりゃそうや。」 「じゃ、あたしじゃない子やで。」 「・・・。ほんまやなー。そうなるなー。」
育てられても老後何も返せない、その真実。肉体的には。 「あたしは今まで、お母さんの仕事に協力してきた。」といった。 「みんなしてるよ。かぎっ子の子なんて、そこら中にいるよ。」 それも、真実なり。甘えてた・・・自分自身。
あたしは、親の愛情を感じている。 愛されていないわけではない。 ううん、むしろ愛をひしひしと感じてます。 時には、重たいくらいで。。。 だけど、親もちょっぴりあたしに甘えちゃってたんだと感じた。 この病気との出会いを通して。 えらそうには、言えないですけどね。
今、あの時に戻りそうなのだ。 お互い自分自身で精一杯な、あの頃に。 家族だからこそ、わかり合いたい。 だけど、家族だからこそ、あえて違う方向へ行ってしまってたり。ねじまげてしまってたり。 ちょっと、距離置いた方が、いいんだと思う。 あの時は、リハビリ入院して、あたしも・・そしてお互いに自分をみつめて、また家族に戻ったけど。 どこか避暑地ないかなー。 入院したいなー。 治療もしたいなぁ。 目だけでも少し良くなりたいなぁ。
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