∈向き合えない。。。∋ |
2002年07月31日(水) |
昨日の眼科の診察、結局、治療しない方針へとなった。 それ聞いて、「ふー。。。」って、肩の力抜けちゃった。 決して、いい意味ではなくて。
春に入院した時、パルスを2クールしたけど、全然効果が見られなくて、副作用もいろいろ出てきて。 あの頃、まだ見えてた左目も、視力が徐々に低下してきてるし、複視まで出てきてるし。 だけど、今パルスしたとしても、前回のことも考慮すると、効果が見られるとは思い難い。副作用の率考えても、医師としては治療しない方を選択したい。と。
前回の診察で、「パルスするのも、一つの手かな。」とは、主治医の代理の先生。 たまたま主治医の先生がいなくて。 でも、やはり、同じようなことも言っていた。 けれど、やるのも一つの可能性とも。 でも、昨日の主治医の先生の方針は、99,9パーセントは、「やるべきではない」といった選択だった。 今までのあたしの経過を知りつくしてくれてるのは、主治医。 入院中の経過も。だから、きっぱり選択できることなんだと思う。
あたしのわがまま的な、「ただ様子みるなら、精神的にたまんない。」の意思を尊重してくれて、神経内科の先生と相談して、土曜日に最終的結論を出そうってことになった。 ほんとのあたし的思いは、「何もできないのなら・・・」と言いたかったのだケド。そんなこと伝えたら、ケンカ売ってるようなもん。自分自身の体にも・・・。 「様子をみましょう」 この言葉、嫌い・・・。
ほんとはわかってる。 入院中、神経内科の主治医から聞いたこと。 病院行ったら、治るんじゃなくて、ただ最悪を免れるように。 病気と闘うんじゃなくて、受け入れていかなきゃならないんだ。 あたしが、全然変わってないままなだけ・・・。
これまでも、再発する度、功をなさなかった。残念ながら。 どうしてなの?何度も思った。悔しかった。 でも、車イスになったこと。敗北と思ってないし。 だけど、どこかで、リハビリしたら・・・とか。足がダメでも手で・・・とか。 でも、年月が経つにつれ、一つ一つ失ってくのが怖い。 今年は激しすぎる。自力で立てなくなって、目も見えにくくなって。 どうにかならないものか?と。 5日前から、左手の小指と薬指が、動かなくなったし、固まってるし。
現実的には、先生の言わんとする意味もわかるけど、ただこのまま、ジーッとしてること自体耐えられない。 副作用でも何でも、出てもいいから、早く治療して。
帰りに父とケンカ。 「家族の人いる?」と、先生が診察室に呼んだ。 今日は家族にも、聞いてもらうつもりだった。今の病状について。聞いてもらいたかった。 だけど。 「新しいメガネ作った方がいいですよね。」 その父の一言で、無言になってしまった。 何もわかってナイ・・・。 入院中、どう理解してくれてたのか、今更疑問も沸いてくるし。 情けなくて、涙も出なかった。 あたしの今の視力低下は、視神経からくるもので、視力矯正できない。 というか、矯正した視力が、コレ。 右目0,02と左目0.3。 右目に関しては、矯正も不可能。 左目は、裸眼が0.07くらいだったから、かろうじて矯正できてるのかも。 あげくの果てに、帰りの車の中での会話では、どうやら「今治療しない」=「治療しなくてもいいくらいの病状のレベル」=「安心」と理解してるもんだから。 もう、何も話したくなくなってしまった。
家ではよく、「お前の病気だから、自分で考えなさい。」と言われる。 でも、成人した大人として、自己責任をまかせてくれるのと、完全に家族としての責任を放棄するのとは、全く違う。
困った時、病院に行けば治してくれると思ってる。 今、困らないのは、父に見えるくらいの、変化としてはないから。 目の視力低下は、あたしにしか自覚できない。 普段の介護は、もっぱら母。父は、車で出る時だけだし。 今、あたしが何に困ってるのか?何が辛いのか?どうしたいのか? 全くわかろうとも、してない。 意識、低過ぎ。病気についての理解、レベルの差、あり過ぎ。 診察室に入ってもらっても、話にならない。
同じ「逃げたい」でも場所が遠い。 現実みつめながら、心がついてかないのと、あきらかに、何もわかってナイのとは、全然別問題。
土曜に外来行くの、何だか憂鬱になってしまったや・・・。 結論が、99,9%、わかってるだけに・・・。
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