きままくらし

2002年08月25日(日) 月の美しい夜

昨晩はおとついの満月に続き、雲はありましたがきれいなお月夜でした。

10:50に父は亡くなりました。



昨日は姉とふたり夜間ついていようと決めていた。
姉はなるべく休んで来るのは10時でも11時でもいいよと言ってくれたがなぜか、夕方5時くらいにはいけるからと姉の好意を翻す返事をした。

実家について、、(その前に姉と今後の夜間の付き添いは夏休みが終わると厳しくなること、姉と義理の兄の仕事も9月からは忙しくなるのでいままでのようには時間をやりくりできなくなるだろうということ、、弟とこの状態が続くことを想定した話し合いをしなければということなどを話していた)

幸いなことに夏休み中でわたしたちは多くの時間を父にさくことができた。姉夫婦は学習塾をしている。弟も幼児教育の仕事で、時折行事などがあったがこちらも夏休み中であったし、、、わたしは本当にこの夏休みは何も予定をいれず静かな夏休みをおくるつもりだった。


父は午後訪問医が一昨日よりいい状態との診たてで酸素をレベル4に落としていた。まだまだがんばっているようにその時は見受けられた。
また今夜を乗り切っていけるかも知れないとは思ったものの一抹の不安があり、私の中では”きのうとすこし違う”という感じをぬぐえないでいた。

夕方から夜8時ころにかけて発熱があり身体を冷やした。呼吸は昨日より弱くなっていたが、苦しそうな様子もなく次の段階の安定に入っていくのかとも思った。
そうしているうちに酸素量の数値が下がり酸素をレベル5にあげ一時間ほどようすをみていたが、いつもは上がってくる酸素量がなかなか戻らない。

それでも父のむくんだ手足を母と甥とでなでながら、孫のなかで一番年長の甥としみじみと話をしていた。
父はもうこのまま意識が混濁した状態でまた数日を過ごしてゆくのかとおもうともう一度意識が戻って一言でも何か言ってほしいと願った。

10時過ぎに酸素量はかなり低い数値を示し、血圧等をはかることにしたのだが、何度計っても上が50台、下も40台の数値しか表われない。酸素量はPという表示が出てくる。私たちにはこれが何を示すのかわからない。呼吸はひどく乱れている様子はないが、弱いながら止まっている間隔がさほど長くなってはいなかった。しばらく置いて血圧を計りなおした。Errが表示される。次も Err

私たちの中に緊張がはしった。
 姉と母は何度も「お父さん、、お父さん」と呼びかける。
弟が看護師に電話をいれ、医師にも往診を頼んでもらう。
ほんの短い間だった。
呼吸がとぎれる、、、姉はとっさに酒瓶を手にしてきて、湯飲みに移しガーゼを浸し父の唇をしめしていた。
弟は父のかねてからの頼みだった遺教経の中の父が一番好きであったという一節を唱えた。母と姉の口から嗚咽がもれていた。
父は酸素マスクを再び顔に当てたとき唇を一つ結んだ。
唇が閉じられたとき何かが抜けていったような気がした。


顔色があんな一瞬で変るのをわたしは見たことはなかった。
ほほのいろが一瞬で黄みがかった白いいろに変化した。


喪失感というのではない。すべて終わったという脱力感でもない。
こうしてかつて家族として過ごしていた母と姉と弟とわたしで父の看取りができたことに感謝したい気持ちだけだった。
父はとても穏やかな顔をしていた。


父は最期にこうしてほしかったのであろうと思う。さまざまな条件がかなえられ、家で死にたいと常々ねがいその通りに最期を迎えられた父をうらやましいと姉はいった。


看護師と医師の到着の後、診察と死亡の確認さらに葬儀社の手配、父の弟達への連絡とひたすらあわただしかった。
それは午前2時頃まで続き、仮眠をとるべく別室に移ったのだが結局4時半くらいまで眠れなかった。
今朝は葬儀社が8時に家に来るのでその前には弟夫婦は起きだし、色々なことに追われ昼前にやっと自分の家に戻った。

車を運転している時に突然、なみだが出てくる、、一人でしゃくりあげていた。





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