きままくらし

2002年08月24日(土) こうして、、、

こうして、父の病に関する日記を書いている、こう迄して残すものなんかないという気もする。

昨晩、7時過ぎに姉から電話。今日の血液検査の結果の数値が思わしくないので今、訪問医が駆けつけてくれていると弟から連絡があり実家に向かっているとのこと。詳しくはわからないが私も娘に伝えすぐに実家に行く。

何しろ1時間近くかかるので一刻も早くという気持ちがとても強かった。実家はすでに医師が帰った後で、2人から様子をきく、、数値に表れているものから、もはや非常に危険な状態であり 週を越すのは奇跡がおこる以外 無理だという。姉弟はかなり沈んでいたが、まだできることをできるだけやりたいといった。


わたしは、チガウとすぐに感じたが口には出さずにいた。
姉がすこしの呼吸の変化にも動揺しているのがわかる。しかし私まであたふたと動き回るのはその場の気がかなり乱れるようでできない、、、多分姉は私が妙に落ち着いているのが不思議?もしくは冷たいあきらめからのものだと思っているかもしれない。

こう迄になっている父に何をするべきかなんて、、、私には考えられないし、そういう手を差し出してその動揺した気持ちを父に感じさせるのもいやだ。

私には医療に関する知識などないので、静かに注意深く変化をみてゆくしかない。確かに呼吸が先日の夜より弱々しくなっている。横たわった胸の上下がかなり少なくなった。手足にむくみがでて、唇が乾いて舌が口の中でくっついてしまったかのようにみえる。
呼吸は酸素量を増やしたにもかかわらず弱い。しかし規則的で時折間隔がわずかに遅くなる。意識に関しては呼び声に反応することは、ほとんどない。あっても閉じた目が皮膚越しにかすかに動くのが見て取れるくらいだった。

(*突然の睡魔に襲われてしまいました、、、中断)

あきらめよりも、私にはこの程度では今夜は越せるだろうという確信めいたものがあった。かつて誰かの臨終に立ち会ったというようなことは一度もないのだが、父を見ているとまだかろうじて生につながっているように思えたからだ。
隣室の引き戸を開けて父のいる部屋は照明を落とし、こちらに4人で座った。
時折様子をみてやるほうが父も落ち着けると思った。とにかく気を乱したくない。

酸素の数値を30分おきにはかり、時折血圧や体温をはかり、唇があまりに乾いているので吸入、おむつもかえたりしているうちに午前4時を過ぎた。
数値に一喜一憂しても仕方がない。

わたしはかなり安定していると思ったので、結局姉と別室で仮眠をしたが
6時半に一たん家に戻った。

単なる経験にすぎない、、、本当に臨終となったらこの私の高ぶりもしない、あわてもしない気もちはどんな風にかわるのだろうか?
それとも、このままずっと静かな気持ちのままで父を看取れるのだろうか?
それが正直な今の気持ちで、、、まったくわからない。
姉のように言わば素直な対応ができないのも、この家で育った時の感情のもつれがあるのかもしれないな〜と思ったり、また今の自分はそれをすこし悲しい思い出としてとりあえず離れてみることができるようになったとも思ったりしていた。





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