今、訪問してくださっているお医者さんは県内でも2件ほどしかない在宅看護を希望する家族を助けてくださるお医者さんだ。緩和ケアをしてくれるホスピスのようなものも数は非常に少ないのだが自宅でそれを望んだ私たち家族のものは病院よりもそれはそれは気を使い、それに延命は望まないので(過剰な装置、薬物による)静かに見守り容態をしっかり認識していなければならない。
弟からまた話し合いたいときき、昨晩実家に行った。 もう、状態的には肺炎がよくなりつつあるが、(どちらにしても右肩下がりの小康状態)栄養的な輸液をしていないのでこのまま意識が混濁した状態では1週間ほどで亡くなるかもしれない、、と言うことらしい。そして一つの提示として栄養物の輸液を中心静脈から行うこと、、それによって体力的な回復(今より)と肺炎の状態をよくするという話が医師からあったとのことだった。
その輸液についての選択を弟は決めたかったのだが、話がはっきりしなかった。医師からの話があったとき私と姉はその場にいなかったので、理解しにくかったのだが、すこしの永らえのために新たなことをするのがよいこととも思えずにいたので、二人ともいまのままでよいかとも思ったのだ。 結局結論的なものはなかった。
今日、看護師さんが来てくれたときに姉が色々聞いてみたところリスク的なことよりも、むしろそれを行うことが家族ののぞまない延命の部分に触れていることが判った。
それはやはり医師に聞くべきことかと思い午後の診察時間に聞きに言った。 医師の方針は無為な延命はすべきでないという立場と理解したが、患者が 家に帰ってからあまりに短い期間で肺炎を何度もおこしそのための 衰弱と意識の低下が速かったとのことでもう少し家での生活を させてやりたいという考えから中心静脈からの輸液はどうか、、と いうことになったようだ。
家族としては父が家に帰ったときの喜びを見ているが、やはり、もし かなうならばもう一度家で過ごす生活を父が意識してほしいと思う。 たとえ短期間であったとしても今のままの意識があまりはっきりしない状 態で父を送るのは忍びない。
医師に私たちの気持ちを姉が伝え中心静脈からの輸液をお願いした。
これとて、どういう結果が待っているかはまだわからない。が、、何かよい方向を模索してやってみるほうがよいだろう。
昨晩話したことは誰か一人が決めるなどできないことだった。 色々なことを話すことによって家族の覚悟のようなものを深めることが できたと思っている。 父の意志がどのようなものかはわからない。 わからないのだが果たしてこれでよかったかよりも、私たちはこう望むという選択だった。
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