きままくらし

2002年08月18日(日) 生きているものと、、、

死というものに謙虚に厳粛に向きあいたいと思っていた。しかしこちらがわにある生と今の父とのあいだにはおおきなギャップがある。
生きているものと死にゆくものの間に何があるのだろう。


ふと父をみていて思ったことだが、なんて今は平和そうなのだろう、、確かに病状を思えば高熱が出て身体の節々がだるそうで痛みもあるらしく手や足を無意識に動かしたりやせ細った腿をたたくようなしぐさをする。
それさえもみていると、、、実は苦痛のなかにあってもなぜか赤ん坊のような安らぎが見て取れる。こちらも落ち着いた精神状態のときだ。
多分肉体的な苦痛はあっても現実の”生”からはかけ離れた精神の安らぎのようなものを父の顔色の中に見た。
ふと、うらやましさも感じた。
取り巻く周りの人々の思惑など入り込む余地のない確たる死が実はわたしにはとても崇高なもののように思えた。


この2年父とはまともに口をきいたことはなかったし、今でも父がどんな思いで老いの日々を過ごしていたかなど本当は判りはしないのだが、(それだけ父自身が偏屈な老人になっていたのだが)今は父にもう思いわずらうことなく静かにくれてゆくいち日の終わりを見るような気がしている。


そうしてわたしの今日が終わり、自分の家に帰ればまた夫や子どもたちと夕の食卓を囲み、、、普通の一日のごとく過ごしているのだが、生きていることはこのように喰らい活動しているだけで、、、その繰り返しなのだとしみじみ思う。
わたしなど世間とのかかわりは極々少ないほうだがそれでも時に疎ましかったり憎しみさえ感じてしまうこともあるのだが、父のそれらから離れた本当に子どものような無邪気ささえ感じる表情には重篤な状況にもかかわらず安堵の感を禁じえない。

終末期のなかにもこのような日があることを知った。


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