帰ってきたばかりで、父はまた肺炎をおこした、このため夜間2日間はわたしも実家で付き添った。体温が40度を超えることがあり、点滴と抗生剤...病院と同じように点滴をする。身体を氷で冷やし酸素もはずさないように注意する。 看護師と医師とで微妙な見解の相違を感じた。その場には居合わせなかったが、医師は’病院から帰ってきたばかりなんだからもうすこしがんばってみよう’ということで、点滴をすることにしたらしいし、看護師の人は無為な延命をしない方針らしく、、、最初にも’延命のための点滴などは家族の人がやはり御願いしますと当初の考えを翻すことが多い’とふっともらしていたこともあり、、この医師の言葉は患者のみならず家族のことも考えてくれているのだなと思った。それはありがたいことだ、、家で残りの日々をと思っていたのに、かえってすぐ旅立たれたら家族の気持ちとしてはやりきれないものだ。
しかしそれも、家族のエゴであることも承知している。 在宅で看取るのは確かに一人や二人ではムリだとおもう。毎日見舞いに行くといった程度の問題ではない。 昨日の朝わたしも初めて、痰を取ってやった。吸入カテーテルを咽喉にいれて機械が吸い込む、、、父も苦しそうな時’痰をとるかい?’と聞くと大きくうなずく。手早く何度もとってやるほうが父も楽そうだということがわかった、、、なんでもやってみることだと思った。
父はまったく意識がない訳ではなく、高熱でうなされたりうわごとを言ったり、確かに呼吸は乱れているが、色々伝えようとしたりする。 15日に医師には”死にかけて、苦しかった’というようなことも言ったようだし、気力は確かにまだ衰えていない。 医師が来るのを確認したりしていると聞いて たいした気力だと思った。 それも もういいとか死にたいとかいう言葉になるよりは気持ち的にはこちらも安堵するものがある。
熱が下がって天井をじっと見つめながら手を振るようにしている。 ’なあに?’と聞くと’飛行機’という。 ’飛んでいるの?’とまた問うと’ああ、、’と答えた。 ’○○○、、’と聞き取れない言葉を発した。ふとよぎったのは飛行機に乗っていたという戦時中のことだ。たくさんの戦友を送ったことも聞いている。
父の握力はまだ力強かった。そんなことでも、まだ大丈夫だろうという思いが私にはある。肺炎をおこすたびに段階的に衰えていくだろうとも思う。
実はやはり病人だけのことではなかった。 まわりの親戚、知人がどんなに精神状態をかき回してくれるものか、、、といった問題もある、こちらは昼間、姉と弟に降りかかってきたものだが、口うるさい叔父とかそういった人たちに対処するのもかなり気をつかったりして大変らしい、、、
|