さて、明日から1週間ほどの夏休みに入ります。
そこで、息抜きとして、初日にキーワードとして挙げた筆者の「英語」との関わりについて書こうと思います。
現状は、客観的にはTOEIC595点(2001/07現在)、使用経験としては昨年1.5ヶ月程旅行した時に身振り手振り混じりで何とかコミュニケーションを「とらせて」もらったぐらいです。
言うまでもなくコミュニケーションツールとしての1言語なわけですが、世界の多くの人と触れ合う可能性が高くなるし、それだけ広く知れ渡っている言葉なだけに、ボーダレスなコミュニティーとしてのインターネット上では多くの情報が英語を基にしているらしい(私自身は今のところあまり不自由してませんが・・・)。そうした状況から、出来るだけ若いうちに身につけておきたいと思ってるわけです。
ただ、そういう抽象的な理由というか、建前的な理想論だけを頭の中で考えているくらいではあまり熱心に勉強する気になれず、何度も挫折しながら今日に至っています。
でも、上記した昨年の旅行でやはり人とコミュニケーションをとることの大切さを知り、再び身につけようと思うようになりました。
旅行の詳細はまた今度に譲るとして、カナダのユースホステルで黒人とビリヤードをした時、嬉しさとか楽しさを表現できずくやしかったこととか、インドで学生と話をした時に相手の言うこともあまりわからず、こちらからは日本の現状や世界の動向についてほとんど何も話せなかった事、そしてネパール人とフィーリングで意気投合してお酒を飲んだのに、深いところまでお互いを知ることができなかったことなどなど。
英語が十分に出来れば解決する問題だけではありませんが、その時歯がゆく思った気持ちは忘れられません。
そうした過去に加えて、将来的に海外に出たい(旅行と勉強、成り行きによっては仕事で)という気持ちもあります。
今現在は『英語は絶対、勉強するな!』という本を参考にして、まずはヒアリングの練習をしています。 これは、赤ん坊が言葉を習得する過程にプラスして大人としてできる書く練習や文化を学ぶ視野なども加えた方法です。 文法や難解な読解をクリアするためのいわゆる「勉強」をしないという考え方です。
もちろん、この方法に関して賛否両論はあると思いますが、現段階では自分にとってベターな方法だと思ってます。 今後、学校に通う時間もないことが予想されるし、そのお金もないし。 また、言葉に関しては赤ん坊のように習得するのが一番自然だとは思いますしね。
もう少し生活に余裕ができれば、外人が集まるところに出向いたり、多く住んでいるところに引越したいとも思ってます。ルームシェアでも。 必要としないかぎり、絶対に身につきませんからね。私の場合は。 そういう環境に身をおいてやらないと。
そういった訳で、これまでのように挫折しないよう、こつこつと続けていきたいと思う次第です。
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