■ 腰痛日記 ■
ケイの10年にわたる痛みの治療体験を少しずつ書いていきます

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2002年12月24日(火) ニュースソース

TMSの掲示板にも他の部分を書いたのですが、他にもおもしろいことが載っていたのでここも引用しちゃおっと(^-^)ゞ

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このように、メディアを通して伝えられる情報の伝わり方と、痛みの情報の伝わり方とは、私たちにとって非常に似通った面をもっています。

それでは痛みの情報そのものはどういう構成からなっているのでしょうか。

すなわち痛みの情報とは、どのような刺激がどのような割合で痛み神経に加わり、それが脊髄後角からどのような様式で脳に伝えられることをいうのか、ということです。

単純にいって、痛み神経にある一定以上の強さの刺激が加わった場合、神経の電気的亢奮が起こり、これが情報源(ニュースソース)となります。
亢奮の割合は、刺激の頻度と強さに比例しますが、あまり頻度が多いと伝わらないことがあります。

この亢奮は脳に伝わった場合、意味のない電気的信号なのですが、これが感覚としての痛み情報そのものであると考えらています。
それをどのような意味をもつ痛みか判断するのは、意味のない原始感覚を、感覚としての反射的な痛み反応と、後の社会的記憶による意味づけ(補足的な痛み反応、情動に近い)と概念づける脳そのものなのです。

つまり、あるニュースソースをどこかのテレビ局が取材に行き、それがある程度の社会的インパクトをもつとテレビ局が判断したとき、テレビの電波を通じてそれを流すわけですが、受け取る聴取者自身が内容の正誤を判断する脳そのもの、ということになります。

聴取者がそのニュース受け取った瞬間に抱く直感的な判断は必ずしも正しいとは限らず、そのニュースを正しく判断できるかどうかは、後から周囲の状況を考慮にいれたり他人の意見を聞いたりしながら、その内容を評価する必要があるということになります。

しかし、多くの場合、ニュースを流した当のテレビ局は、その内容については中立(というよりあまり多くをかたってボロを出さない)の立場をとります。

これを痛み発信源と、受け取る側の脳との関係でみますと、発信源ではその内容、つまり痛み情報が身体にどのような意味をもつか判断して送り出すのではなく、その送られてきた情報の意味は、受け手である脳のほうで判断せざるをえない、ということになります。

************ 『脳の痛み 心の痛み』 北見公一・著 *******
            ―慢性通からの解放をめざして―

<痛みの情報>と<脳>の関係を<ニュースソース>と<聴取者>にたとえているところがおもしろいと思いません?





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北見先生が30年経った今でも心に残っている詩だそうです。


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