某日某新聞のコラムから
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健康な心とはどんなものなのでしょう
例えば「悩んでいる心」 は不健康でしょうか
きっと違います
「悩む」のは とても素晴らしいことです
悩みもなく いつも明るく快活なのが 健康ではないと思います
人はみな悩みながら 成長していくのですから
「憎む」 「さげすむ」 「勘ぐる」 「おとしめる」 「ねたむ」
となるとちょっと不健康に思えます しかし これも十分に注意しなければなりません
例えば 「勘ぐる」 をわかりやすくするために 「信じる」と「疑う」 二つの心を考えます
「信じる」 のが健康的で 「疑う」 のは不健康でしょうか
いいえ、違います
妄信的に何かを信じてしまうのは とても危険で 不健康な心です
一方「疑う」のは 「なぜ?」という疑問につながるのですが これで人類は進歩してきました
科学の発展は 「疑う」の連続で成立しています
この「勘ぐる」と「疑う」 のわずかな差の中に、 うも不健康な心が 存在しているように思えるのです
おそらく両者の違いは 対象を「悪いものだろう」 と決めつける偏見や先入観が あるかないかです
「勘ぐる」心には 理屈ではなく 一方的に相手が悪者だという 勝手な判断が隠れています
きっと これこそが不健康な心の源なのだと思います
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うれしい かなしい たのしい ねたましい こんにゃろー うらやましい くるしい つらい
人はいつでも どんな小さなことに対しても なにかを感じて生きています
その感情に 良いも悪いもないのですよね
でも なにかの感情 (怒り・ねたみ など) を悪いものだと思い込んでいると 無意識に それを押さえ込もうとしたり
誰かにその感情を 気づかせないために 明るく振舞おうとして
それがストレスに なってしまうのではないでしょうか?
もちろん 生活をする上で 自分の力では どうにも出来ない現実的な問題 (仕事、家族、病気・・・)
がストレスになっていることも 多いと思います
が、それから生じる自分の感情に 善悪をつけないで 受け入れることができたら 毎日をもっとらく〜に過ごせるのに
と自分にも言い聞かす(^-^;
私は以前は痛みに対して 身体の構造 (脊椎、椎間板、神経) を詳しく書いてある本ばかり 読んでいました
でも それをある程度理解していたからこそ そこに原因がないというTMS理論を スンナリ理解できたのだと思います
今は ココロ(心理・感情・精神) にとても興味があり 本や新聞、小冊子などを見るときも いつの間にかそっちの記事を 探してしまいます
あまり頭でっかちには なりたくないのですが・・・(^-^)ゞ
いろいろな角度から 新しい情報を得ることで 長い間に染み付いた感情に対する 偏見や 自動思考の癖が取れていくのではないか と思っています
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