昨日おばちゃん(母の叔母)の腰痛のことを書いたのですが、(^0_0^)先生から「老人の腰痛で気を付けなければいけないのは圧迫骨折です。ちょっとしたことでも起きることがあります。・・・中略・・・痛みが続くようなら再検査するべきでしょう。」とメールが来てました。 検査もなしの素人判断は危険ってことはよーーっくわかってますっ! 明日病院にも行くって言ってましたから、その後の様子はまたここでお知らせしますね。 でもね、必要のない検査をしたり、その結果だけを証拠に患者の不安をあおる医師が多いのも現実です。
今日、図書館に行って来たのですがオモシロイ本を見つけました。
************************* 『プラス思考だけじゃダメなんだ!』 川村則行著
仕事の繁忙期になると必ず頭痛が起きたり、昨夜まで元気だった子供が学校へ行く寸前に「お腹が痛い」といいだすことがあるなど、私たちは経験のなかで「心とからだは関係がありそうだな」と何となくわかっている。
だが現代の医学の世界は、この「何となく」を許さない。科学的根拠のある、だれが解いても同じ答えが出るようなきちんとした数式が整えられなければ、たとえ私たちが「病は気から」の言葉を実感していても、それを事実として認められないのだ。だから普通の内科医や外科医は、心とからだはまったく別のもの、からだを治療するのに心は関係ないとして、極めて科学的な治療を行う。
これに対して私のような心療内科医は、心とからだは関係するものとして患者さんの治療に取り組む。科学的治療にとどまらず、異常の起きたからだの背後にある「心」も診ていくのだ。
これまで多くの患者さんと接してきて、またこれまでの研究の成果を通して私が感じるのは、やはり人の心とからだは密接に関係しているのだなということ、ひいては人の心もちようで、病気になるかならないかの選択をできるのだな、ということだ。
やや極論ではあるが、言葉をかえれば、人は自分が生き生きと元気に過ごしたいと思えばその通りに生きられるし、逆に病気になったり病気が悪化するのは、それなりの精神的なバックグラウンドがあるためだ。かりに病気にかかってしまったとしても、元気になりたいという意志があれば、必ず快方に向かうということだ。 *************************
ここに書いてある「何となく」を許さないのは現代医学に携わる医師だけではなく、私たち患者にもそういう傾向があるのではないかな? ハッキリとした証拠を示してくれたり、それなり?の病名が付いていないと安心できないって気持ちは、私もありました。
(^0_0^)先生は、ご自分のことを「かわった整形外科医」とか「理屈っぽい医師」と形容することがあります。 ベラフォンテさんも「切ることを止めた外科医」ですから一般的には「かわった医師」に入るのでしょうね。
この2人の医師の姿が「素晴らしい医師」?・・・そいうじゃないか・・・「普通の医師」と言われる日が早く来てほしいですね(*^.^*)
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