2004年09月14日(火)
今日、大阪教育大付属池田小事件の宅間守死刑囚の死刑が執行 された。 あれ程残虐な事件を犯し、死刑が確定している以上、何時かは この日が来る。 しかし、私がこのニュースを聞いた時、「死刑確定から1年、早か ったな」というのが、偽らざる思いであった。
刑事訴訟法は、死刑執行は法務大臣の命令によると定め、原則的 には判決確定の日から六カ月以内に命令しなければならないとし ている。 しかし、再審請求や恩赦の申し立てが考慮されることもあり、実際 の執行は確定から数年以降となっていることが多い。 最近のケースでは確定から少なくとも四年を要している。 それなのに、何故こんなに早く死刑執行がなされたのだろう。
宅間死刑囚は初公判で、罪を認め、一度は「自らの命をもって償い たい」と述べたが、その後は反省や謝罪の言葉は全くなく、逆に被 害者や社会を中傷するような発言をすることも多かった。 判決のその日も「どうせ死刑になるのだから」と暴言を吐いてい た。
被害者遺族は、早期の死刑執行を望む声が強かっただろう。 しかし、それと同時に、死刑執行は当然の事としならがも、その 前に何の罪もなく亡くなった子供たちに謝って欲しいという声が あったのも事実である。
死刑確定後も接見を続けてきた臨床心理士によると、宅間死刑囚 は、思いつめた表情で「自分が生まれてこなければこんな事は起 きなかった」「自分のしたことで不幸になった人がいるのは分かる」 「何の罪もない子どもたちは無念だったろうなあ」と話していたと いう。 また、彼は死刑確定後、支援者の女性と獄中結婚し、その女性も 宅間死刑囚から謝罪の言葉を引き出すために、努力を重ねていた という。 時間があれば、宗教家の力を借りるという事もできたかもしれな い。 それなのに、何故この時期に・・・と思ってしまうのである。
そして、もう一つの思い・・・ それは、今日仕事とはいえ、死刑を現場で執行した刑務官は、今 どのような思いでいるのだろうか。 刑務官は、過ちを犯してしまった人を正しく導くものとして刑務官 という職を選んだにも拘らず、たとえ少数派とはいえ、死刑執行の 現場に立ち会っているのである。 相手がどんなに極悪非道な人間であろうと、それが如何に合法的 な事であっても人間が人間を殺すという行為に手を貸している事に なるのだ。 彼らの苦悩を思うとき、心が痛む。
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