2004年09月13日(月)
1 赤い靴はいてた 女の子 異人さんに つれられて いっちゃった
2 横浜のはとばから 船に乗って 異人さんに つれられて いっちゃった
3 今では青い目に なっちゃって 異人さんのお国に いるんだろ
4 赤い靴見るたび かんがえる 異人さんにあうたび かんがえる
先日、深夜にラジオから流れてきた日本の唱歌「小さい秋みつけ た」を聞き、切なくなりながら、思い出した曲。 作詞:野口雨情 作曲:本居長世の「赤い靴」。 小さい頃から、よく聞いたり歌ったりした曲。 幼馴染のお父さんが、私に娘が生まれた時に 「日本の唱歌には、とても美しくいい曲が沢山あるよ。 そういう歌を、生まれたお嬢さんと一緒に歌うようなお母さんに なって下さい」 と、沢山の唱歌をテープに纏めて、プレゼントしてくれた最初に 入っていた曲。
小さい頃、異人さんが「異人さん」だか「偉人さん」わからなかった けど、「つれられて いっちゃった」というので、小さい赤い靴を 履いていた女の子が、人攫いにあってしまった・・・って勝手に解釈 をして、「怖い歌」って勝手に思い込んでいたの。
今では、有名な話だけど、この歌にはモデルがあるって知ったの は、大分あとになってからの事。
女の子の名は「岩崎きみ」。 きみちゃんは赤ちゃんの時、色々な事情で母親「岩崎かよ」に連れ られて北海道に渡ったけど、母親に再婚の話がもちあがり、その 後、北海道の開拓地にに入植することになった時に、当時の開拓 地の想像を絶する厳しさから、3歳のきみちゃんはやむなくアメリ カ人の神父さん夫婦の養女に出されました。 その2年後、開拓に失敗し、きみちゃんのお母さんたちは、札幌に 引き上げ、野口雨情と知り合ったそうです。 きみちゃんの事を聞いた野口雨情が、「きっときみちゃんは、アメ リカで幸せに暮らしている」とこの詩が生まれたのです。
でも、きみちゃんは、赤い靴を履いてアメリカに行けませんでした。 養父の神父さんの任務が終えて、アメリカへ帰国する時、6歳だっ たきみちゃんは結核にかかっていて、長い船旅が出来ず、東京の 教会の孤児院に預けられたのです。 きみちゃんは、実のお母さんとも養親の神父さん夫婦とも別れ、病 魔と闘い続けましたが、秋の夜、9歳で亡くなってしまいました。 その事を、おかあさんは亡くなるまで知らずに、きみちゃんは幸せ に暮らしているだろうと信じていたそうです。
9歳の女の子です。 きっと、お母さんの事を恋しがって泣いた事でしょう。 その事を知ってから、この歌を聞く時、より一層、切なくなるの です。
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