rokoのNotebook

rokoのNotebook



「ルールに忠実であろうとしただけです」

2004年08月21日(土)


日本選手の活躍が目立っているアテネオリンピック、水泳の北島
康介選手の「ちょー気持ちいい!」  柔道の谷亮子選手の「シド
ニーの時より何倍も嬉しい!」など記者会見の時に発した言葉。
何年のちにもその光景と共に思い出される所謂「名言」。

以前のオリンピックでもありましたね。
私が印象に残っているのは、マラソンの谷口浩美選手の「こけち
ゃいました」(バルセロナ)  水泳の田島寧子選手の「メッチャ、
悔しい!」(シドニー)  マラソンの有森裕子選手の「自分で
自分を褒めたい」(アトランタ)

さて、以前何かの本で読んだのが、タイトルの「「ルールに忠実
であろうとしただけです」という言葉。
これは、1936年のベルリンオリンピックで男子棒高跳びの西田修
平選手が言った言葉だそうです。

ベルリン大会の男子棒高跳び、午前10時に始まった競技は午後
9時過ぎて優勝争いはようやく3人に絞られ、4m35を跳んだメ
ドウス(アメリカ)の金メダルが決まりました。
残る二人は4m25を跳んだ西田修平と大江季雄の両日本選手。
普通だったら2・3位を決定戦を行うのですが、余りにも試合
時間が長かったため、この決定は日本にお任せになったのです。
大らかですねぇ〜。
棒高跳びでは同じ高さを跳んだ場合、順位はその高さをクリア
した時の試技数、即ちその記録を何回目に成功したかによって
決まるので、4m25を1回目で成功した西田選手が銀メダル、
2回目に成功した大江選手が銅メダルになりました。
ところが、試技数によって順位を区別するこのルールは、ベルリン
オリンピックが終わった後から適用されることになっていたので、
本来、この大会では同順位の筈でした。

西田選手は、表彰台に向かう時、大江選手が2位の表彰台に上
るように、大江選手の背中を押しました。
西田・大江選手は身長も体形もほぼ同じだったため、西田選手の
思惑通り、役員は二人の見分けがつかず、大江選手に銀メダル・
西田選手に銅メダルを渡してしまい、表彰式は終了しました。
これも大らかというか・・・今だったら、どうでしょうか?

帰国後、二人は、相談して、銀・銅メダルを半分ずつ切り、繋ぎ
合わせお互いに持っていたそうです。
西田選手はこの時「ルールに忠実であろうとしただけです。」と
語り、その後も語り継がれる「友情のメダル」が誕生したそうです。








 < 過去  INDEX  未来 >


roko [MAIL]

My追加