ディリー?闇鍋アラカルト
DiaryINDEX|past|will
単に成績が良いだけでは秀才であって天才とは言えない。天才というのは新しい価値を齎す(もたらす)のでなくては。という事は既に書いた。 だから、天才についての本を読むと出てくる天才はその当時の常識とは違った行動をとり、それ故に誤解されたりつらい思いをしたり貧困までも背負わなくてはならない例が多い。 勿論それにめげずに己の道を突き進む所が天才たる所以(ゆえん)なのだが・・・ これは、天才を作り出そうとしても、天才は作り出す事が出来ないという事を意味する。 親や教師が天才教育とやらをやってうまく行ったとしてもせいぜい秀才止まりだ。親や教師の常識の範囲から抜け出るようでなくては天才とは言えない。その抜け出そうとする必然性が本人の内側に生じているかどうかが問題になる。そして、天才と言える程の何かが本人の中に育ったとすれば、当然親や師の価値観から抜け出そうとするだろうし、抜け出そうとした時には親や教師の価値観では理解されないわけだから、親・教師の側からすれば失敗であると感じるはずだ。つまり、天才と言える程の人物を作り上げたとしても、作り出した本人さえそれを理解出来ないという事になるし、作り出すという事にしても土台の一部に過ぎない。 天才は同時代の人には受け容れられない・・と言われる事があるが、その同時代の人には親や教師も含まれる。 同時代の人には受け容れられない・・という事は、時代の十年先・数十年先を天才が先取りしている事で、天才の能力の凄さを意味している事が多いが、それ故に大抵の人から理解されない。天才に孤独はつきものである。変わり者と呼ばれ、親や師からも見放され・・・天才は栄光に包まれてはいない。日々の暮らしにさえ事欠くかも知れない。・・・天才のこのような面を考慮に入れて尚天才教育なんてしようと思う人がいるものだろうか?
|