ディリー?闇鍋アラカルト
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2002年09月13日(金) 天才・・・1

 天才という言葉からどのようなイメージを受けるだろうか?
 常人と遥かかけ離れた天からの贈り物であるような才能の持ち主という事なんだろうけど、才能の他にも考えるべき事が含まれている。

 単純に記憶力や思考力が優れているという事だけじゃなくて、新しい価値を創造する事が天才の天才たる所のような気がする。
 例えば、単純に計算能力が優れているだけなら、計算機でも間に合うし、レインマンの主人公のように自閉症者であったりするかも知れないが、計算機もレインマンも新しい価値を創造する訳ではない。

 天才教育という言葉があるけれど、天才は教育によって生み出せるだろうか?
1970年頃のギネスブックには世界最高の知能指数という韓国の少年が載っていた。4歳にして大学入学試験の数学の問題が解けたと言う事だった。しかし、この少年の名を検索してもその少年の業績は出て来ない。
 1980年代の科学朝日の記事でその少年に関するものを読んだ事がある。大学だったか高校だったか忘れたが、天才とは程遠い成績であったようだ。記者がインタビューに行った時には門前払いだったと書いていた。僕の心に不吉な思いがよぎった。
 4歳にして微積分が出来て外国語も出来るような人間になる為にはどれだけの事がその為に成されたのだろう?それは本人の必然性によって成されたのだろうか、それとも親が詰め込んだのだろうか?
 詰め込んだものを憶えるには確かに優秀な記憶力の持ち主で有ったと考えられる。しかし、そこまでするには相当親とべったりの関係だったのではなかろうか?
他の子供と遊ぶ機会など、どれだけあったのだろう。本人の必要性以外のものを詰め込めば詰め込む程他の学びの機会が少なくなる。人付き合いはうまく出来るのだろうか?親掛かりである事が多い人間ほど、独り立ちする時の危険は大きくなる。

 僕の知っているノイローゼで通院している人は、小学校時代の成績が良かったと言って自慢していたが、自発的に学ぼうという気力が殆どない。仕事に行っても、新しい事を憶える前に辞めてしまう。彼も、詰め込み教育の犠牲者なのだと思う。
 僕の中では韓国の天才児と彼とオーバーラップしてしまうのだ。


いなっち |MAILHomePage

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