ディリー?闇鍋アラカルト
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2002年09月01日(日) 芥川龍之介・・・3


 芥川龍之介は自殺している。生きている事が苦しかったのだろう。
 病気にも苦しめられていたようだ。
 彼の文章力も膨大な知識も彼を救う事には役に立っていない。生きている意味を彼は見失ってしまった。彼の全集を全部読んだとしても、彼の書いた事しか見えなければ龍之介がそうした道を選んでしまった事の原因には気付けない。
 芥川の知性には欠けている所がある。それは体についての知性だ。また、自然についての知性だ。

 芥川が健康な体を維持出来ていたとしたら、苦しみは半減しただろう。お尻が痛い・消化不良・体が冷える・食べ物がまずい・眠るのに薬の力が必要・起きている時もスッキリしない・・・という状態で生きている事を喜べるだろうか?生きる事が不快になってしまうはずだ。

 一般に生物学者・博物学者は長生きの傾向がある。それは、研究対象が自然なので、人間関係のストレスに影響される事が少ない事が理由の一つでもあるけれど、人間について考える時も自然をバックに考えると、狭い範囲で悩まなくて済むと言える。
 これは単純に「この大きな海を見ていれば、人間の悩みなど小さいものだと感じてしまうよね。」というような意味だけでなく、美しい花を見ていれば、人間の悩みを忘れていられるという意味の他にも、白血球を調べていたら、それが病気や食べ物や生物の進化にまで関係している事に気付かされる。つまり、生命が発生し、何億年もの進化が自分の体の中に原初の状態から現在に至るまでの足跡が、自分の体の中にある事を知る感動が、人間関係のストレスを超えた思考法を齎してくれるのだ。白血球に限らず、生命のつながりを知ることは同様に思考法を広げる。
 白血球としては未分化なバクテリオファージにしても、それが自分の体を構成している一部であるというだけでなく、遺伝子的にも全く自分自身に他ならない。自分自身である白血球が病原菌を駆逐するのは自分の意志に他ならないというう事を深く感じるなら、芥川のように自殺傾向を持つ自分の観念的な部分を不自然なものであると思い至らないであろうか?
 ヤスデやダンゴムシといったつまらない虫だと考えていたものが、それ無しには生命の循環がうまく出来ないという事が分かれば、価値観の転換も起こる。
 
 歴史上の天才的人間・・・他の人が気づかない事に気付いてしまい、それ故に大きな業績を残しはするが、他の人との価値観の差によって大きな苦しみをも背負う運命をも引き受けなくてはならない。その運命を引き受ける為に必要な事があり、芥川龍之介はその部分で不足があったのだと言えるだろう。
 


いなっち |MAILHomePage

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