ディリー?闇鍋アラカルト
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2002年9月の時点で僕はホテルで仕事をしている。僕はこのようなサイトを運営しているし、記事を読むと「フォアグラ・霜降り肉はおいしいか?」なんて記事もあるので、「では、このようなサイトを運営しながら、ホテルで仕事をするのは矛盾じゃないか?」という言われ方をするかも知れない。 実際ホテルで配膳の仕事をしていると、フォアグラや霜降り肉をサーブする事はよくある。また、そうしたコース料理とバレンタイン博士の食物バランス図を比べてみると、豆が殆どなく・野菜はお飾り程度で・肉が多すぎという印象を当然持つのだけれど、注文しているのはお客様なので、そしてこちらの仕事はお客様が快適に過ごしてもらえるようにする事なので、「お客様、そんなコース料理を食べて大丈夫ですか?バランスの事をもっと考えた方がいいですよ。」なんて言ってお客様の気分を害するような事はしない。 僕は合理的な食事法はサイトの記事で紹介しているし、仕事場でまで紹介する必要は感じない。健康至上主義者でもないから、絶対こうでなくてはならないとも考えない。出来る範囲の事を好みに応じてすれば良いと考える。だから、タバコを吸ってはならないとも、自然食でなければならないとも思わない。 それでも食生活についてはよく知っている方なので、高血圧で医者から減塩を言い渡されているような患者が客として来て僕のアドヴァイスを求めたら、それなりに答えるだろう。
先日6名様ほどのグループが低インシュリンダイエットの話をしてたので、つい「低インシュリンダイエットというのは、炭水化物摂取に関する一つのアイデアに過ぎないんです。」と一言言ったら「何者なのかしらこの人?」と思ったらしく「どうしてそんなこと知ってるの?」と尋ねられたので「実は、ダイエットサイトの管理人をやってるんですよ。」と言って食生活からダイエット・猫背・肩こり・アトピー・スキンケアまでの健康情報サイトである事、手作り石鹸の事まで話してしまった。 そうしたら、そのグループの中に皮膚科医がいらっしゃったんですね。 「そちらの方はその道(アトピー)のプロなんですよ。」と言われて、「う、ダイエットの話だけで止めといた方が良かったかな。」等と思った所にもう一声。 「それじゃあ、私たちは敵でしょう?」と言って襟のバッジを見せてくれたのだが、そのバッジは日本最大手の洗剤メーカーK社である事を示していた。 「敵だなんて、そんなあ、そんな事思ってないですよ。」 かつて、水質汚染の元凶として環境保護団体から洗剤会社が環境保護団体などから糾弾された事があり、糾弾した方の中には手作り石鹸推進運動をやってる事もあったという経緯もあるから、K社の人がそう言ったのも無理はない。その席はK社が皮膚科医を接待する席だったのだ。 その日は忙しかったので、グループ内の会話など殆ど聞いてはいなかったけれど、聞いていたら賛成出来ないような事も話されてたかも知れないけど、僕がK社や皮膚科医を敵と見なすような事はないのも本当だ。 でも、敵とは見なさないけど、医者には3分間診療じゃなく、患者が自分で改善出来るようにアドヴァイスを与えて欲しいと思うし、K社には消費者の肌を荒らさない製品を供給して貰いたい。医者やK社の利益はそれによって低下する可能性が高いけれど、それをしないなら、いつか洗剤や化粧品の真実を知った消費者から背を向けられるという事を伝えたい。内実が伴わないのに会社の利益が上がるとしたら、結局の所バブルに過ぎない。「私たちは敵でしょう。」という寂しげな言葉は、環境保護団体から敵であるような視線を向けられた過去の経緯からも来ていると思うけど、会社に依存して生きている事と、それによって大切なものを置き去りにしているというある種の後ろめたさも感じているように思える。 若し、人の健康を害する商品を扱う事が人類の敵であるとするなら、洗剤会社K社は人類の敵・環境の敵という事になるかも知れないが、フォアグラや霜降り肉を提供するホテルやレストランだって敵になってしまう。ホテルで働く僕にしてもK社で働いている人にしても、共通した課題を抱えていると言えるだろう。 共通した課題・・・これはホテル・洗剤会社に限らず、電力会社でも自動車会社でも、所属する団体の収益をあがる事が同時に放射能や排気ガスを生産することでもある事を含んでいるような場合は皆抱えている問題でもある。その団体・企業に属していなくても、大抵の人は自動車を利用して排気ガスを生産し、電気を使って放射能の生産に協力をしているわけだから、そして、小売業であればジャンクフードを扱い・・・・というように大抵の人が巻き込まれてしまっている克服すべき課題なのだと言える。 それにしても、このような奇形的状況になってしまったのを誰が予想出来たろうか?洗剤にしろ原子力にしろ農薬にしろ医療にしろ小売業にしろ、それが始まった時の意図が悪かろう筈がない。便利さのためでもあり、豊かさの為でもあったのだ。 しかし、便利さは消費と関連したものに集約されるようになり、豊かさは闇雲な生産・環境の破壊へと変貌して行った。医療費は膨れ上がり、アレルギーは増大し、人々は忙しく駆けずり回り、一日100種程の生命が絶種する事にさえ無感動になってしまっている。それどころかその事実さえ知らないであくせくしている人が殆どだ! 現在文明国と呼ばれる国々の生産活動は我々人類の生存を危うくする状態になっている事に気付かなければ、そのために改善できる事を実行しなくては、人類には100年先の未来も保証は出来ない。私たちの子供や孫が恐るべき苦痛と共に人類最後の日々を過ごすという事が、私たちの生産活動の齎す(もたらす)未来である可能性は高い。子孫ではなく、私たち自身の運命となる可能性だって低くはない。「子供のために」と言いながら、高い教育費の為にヒイヒイいいながら働く事が、他ならぬ子孫の首を絞めている事に等しい壮絶な皮肉! 子供の幸せを願わない親はいないとするなら、こうした皮肉を招いている現状は、忙しすぎて、生命の連鎖や私たちの存在に付いてロクに考えもしなかったという事を示しているだろう。 私たち人類は生命の敵ではない。子や孫の為に必要な事に気付けない状況を作り出してしまっただけなんだ。ならば、気付いた人が気づく為の状況を作り出せばよいだけの話だ。けれども、遥かな道・・・・間に合うのだろうか・・・・
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