ディリー?闇鍋アラカルト
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2002年08月21日(水) 田舎・・・もう一つの用事

 前回の闇鍋に書いたように、今回田舎に行ったのはお見舞いの用事があったからだけれども、もう一つの用事があった。
 それは中学時代の音楽教師でもある親戚の○○さんの奥さんがお亡くなりになったのだ。葬式には参加出来ないけれど、8月には顔を出すと伝えてあった。
 その人が親戚一族に連なる日、そう結婚当日、幼い僕は袴をはいて和装していた。結婚披露宴では子供が花束を新郎新婦に渡すセレモニーが多いが、その時僕がその役目だったのだ。
 その時の写真は記憶にあるが、もうその時の事を思い出せなくなってしまっている。長い時が経過している。
 次のメールはご逝去を母から電話で知らされて、送ったメールだ。
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 こんにちは。

 いつもは「Hello!]って感じなんだけど、きょうはあらたまって書きますね。

 ・・・さんの死をお悔やみ申し上げます。
 ご愁傷様でした。

 僕にとって肉親が死ぬ体験は高校の時、2年の時に父が死に、3年の時に祖母が死んでいます。
 僕にとって、高校時代の死の体験が大きな影響が有ったと思います。今尚影響を及ぼしています。
 当時僕は学校に通って授業やクラブ活動に大きな意義を感じられませんでした。こんな事の為に時間を使うのが嫌でした。周囲からすると成績もよくクラブ活動も熱心にやっているように見えたと思います。
 祖母が寝たっきりで、家庭が大変なのに、こんなつまらない事の為に時間を使っていて良いのか?自分が求めてもいないつまらない事を聞かされる(授業の事)よりも働いた方が良いのではないか?僕が学校に行く為にはそれを支える人がいるという事で、僕にはそれが負担だったのです。しかもその人は力尽きて急死してしまいました。僕のせいではないかという思いがありました。
 中卒で大工をしている元同級生をたまらなく羨ましく思えたものです。
 自分の人生は自分で責任を持ちたい。誰の負担にもならないで生きたい。
 この時期、こういう僕の思いを率直に家族と話し合ってはいません。
 17やそこらで高校も卒業しないで自立するなど、いわゆる当たり前の価値観からすると無謀にしか見えないでしょう。僕自身それが出来るという自信もあるわけはなく、周囲は大学に行くことを期待していたのですから。昆虫が好きだし研究者として生きるなら大学は必要です。しかし、毎日の授業・放課後の能率の悪い練習にも嫌気がさしていました。
 また、昆虫の他にも新たな興味を感じるものにも遇っています。
 父は突然死にました。
 父は「俺は子供たちに残してやれるものは何もないけど、教育だけは残してやろうと思っている。」と言ってました。しかし、僕は父が考える教育そのものが僕にとって時間の無駄だと思っていたのです。
 そういう事を話しうこともなく父は逝ってしまいました。尤も父が生きていたにしろ、そういう事を話し合えたかは疑問ですが。
 自分の意志が高校や大学の教育の中に無いのは明らかなのに、この意志を表現するのにまだまだ長い月日が必要でした。そして意志を表明した時には十分な意志の疎通をお互いに出来た訳でも有りません。従って、僕は東京でやくざな仕事をしている変わり者として10年以上を過ごす事になります。僕が多少は意志を伝えられたと感じるようになるには、兄弟たちも心理学を学ぶようになってからです。
その心理学を伝えたのは僕ですから、東京で水商売をやっていても、全身全霊やくざな訳ではないという事も感じて貰えたと思います。
 さて、自分の話ばかりを書いているようですが、僕が○○さんを初めとする家族の皆さんに今回の事を語る為には、このような事を欠かせないのです。
 現在の事から、過去の事に話を戻します。
 父の死の意味。それは自分にとって、「死はいつ訪れるか分からないもの」という事です。明日かも知れない。50年先かも知れない。
もし、30日後に自分の死があるとしたら、自分はどのように生きるのだろうか?こういう問いかけをするのは生きる事の質を高めるように思います。この世に生きている意味は何だろう?自分は何を学び、何をするために、何を伝える為に生きているのだろう?
 父は「教育だけは残してやろう」と言い、僕はその教育そのものの価値を感じる事が出来ないで居ました。今の僕なら「学校教育なんて教育の抜け殻だよ。人が学ぶ為にはもっと大切な事が有るんだ。それは、お互いに率直に語り合えて、しかも相手に対する思いやりも忘れない事。知りたいという意欲の方が与えられる形の学校教育よりも本質的である事。親父はそんな事の為に無理して働かなくても良かったんだよ。」
 というような事を伝えるかも知れません。そういう事を率直に話し合えたなら、父の早過ぎる死もなかったのかも知れません。しかし、そういう会話など無く父は逝ってしまいました。幼かった僕は自分の責任だと考えましたが、これはそんな思い込みの中に生きていた父にも責任があります。あの当時の私たちはお互いに十分意志を通じ合う事がどんな事かが分かっていなかったのです。
僕が父に語りたい事はこのような事なのですが、では、死んだ父が僕たちに伝えたい事は何でしょう?
 沢山悲しんで欲しいという事でしょうか?それとも落胆して欲しいという事でしょうか?
 また、家庭の状況が大変なままなのに、それを妻や子供たちに押し付ける形でこの世を去った事でしょうか?
 こういう事は永遠に具体的に知る事は出来ませんが、臨死体験者の研究が明らかにしてくれる事もあります。臨死体験者は、死を恐れなくなり、生を充実して生きるようになる傾向が強いのです。死と間近に遭遇する事により、生の意味を強烈に感じるのです。父の性格からしても、死を間近に感じた人の傾向からしても、私たちがメソメソし、落胆するのを望むとは思えません。父は死んだら畑の肥料でも良いと語ったりした人ですから、葬儀の形もあのような形である事を望みはしないでしょう。
 寺に埋葬されるよりは、八甲田の土となり(注/父は地方の山岳会の会長経験者)命日ともなれば「親父を偲ぶ八甲田ハイキング」でもした方が嬉しいのかも知れません。
 では、・・・さんは残された人に何を望みたいのでしょうか?・・・さんは意志を十分伝えて旅立ったのでしょうか?父のように突然の死ではありませんから、伝える時間はあったと思います。しかし、多くの家庭で、死に際しては、死を見つめ十分にお互いの気持ちを語り合うという事が少ないように思います。この点は気になる所です。
ともあれ、肉親の死は大きな学びの機会となります。

 僕が今のような生き方をしているのも、ホームページでの毎日の書き込みも、高校時代の体験が影響を持っていると思います。
 僕はお金の為にも会社の為にも働きたいと思いませんでした。世間で持て囃される出世の意味を早い時期に見限ってしまったんですね。いつ死ぬかも知れない自分の命をそのような事の為に多くの時間を割きたいと思わなかったのです。それは突然に死んでしまった父の死の教訓です。
 お金や会社や国の為であるよりは人類の為に、生命の為に、目の前に一人の為に、自分の為に。
 生命を意識するようになったのは、昆虫少年だった事とも関係が有るでしょう。{父の名}さん。僕は昆虫学者にはならなかったけれど、あなたが好きだった虫や自然への好奇心は、今、僕の中ではこうした形で息づいているんですよ。あなたが刺したこぎんのネクタイを○○さんにあげてにこにこしていた表情は、きっと僕がコーヒーの焙煎を教えたり、作った石鹸を手渡したりしている時の表情とも似ているんじゃないかと思います。
 ホームページをちらっと覗いているくらいじゃ分かりませんが、手作り石鹸が掲示板の常連たちにドンドン広まっています。手荒れしてた人たちの改善の喜びの声が、僕の生きる喜びになります。このような波が河川の汚染を少しずつでも改善出来るかも知れません。
 河川を追われた昆虫や生物たちが再び戻ってくる為にも少しは役立てるかも知れません。
 多くのサラリーマンたちが考える事は河川や地球の循環系よりも、給料であり、業績でしょう。それが人類にどのような意味を齎すかまで考える人は少数派であろうと思います。
 僕は現在一日4時間しか働いていませんから自分の時間をより多く持つ事が出来ます。
 はた目には社会の底辺に居ながら、それを殆ど気にしないで、日々の喜びを感じて生きて行けるのはこのような事情なのです。
 そしてこれは、高校時代の体験が影響を及ぼしている事も分かってもらえるのではないかと思っています。
 この体験からの学びはそちらにも通じる何かがあるのではないかと思っています。そして、・・・さんの死という体験から何かを学び取って欲しいというのが僕のメッセージです。
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 実際に田舎で○○さんと会った時には痛手から立ち直っていないように見えました。兄が言うには「今は浸りたい時期なんじゃないかな」という事でした。そうかも知れません。
 グルジアヨーグルトをプレゼントして、石鹸を送る約束をして来ました。
 役に立てたらいいなと思いながら・・・・・・


いなっち |MAILHomePage

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