ディリー?闇鍋アラカルト
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2002年08月10日(土) 勝ち・負け

 最近某掲示板で「あたしって負け組?」と書いていた人に「勝組・負け組の発想では幸せな人間関係を作りにくい」と書いた。
 この数年マスコミで勝組・負け組的視点の報道が多いような気がする。不景気で会社を巡る状況が悪いので、この状況の中で勝ち残るのはどこか?といった報道になる。また、ペイオフで危ない(=負け組)銀行はどこか?といった具合ね。このような情報も確かに大切なのだろうけれど、どうも空しいなあ。
 本来、生産や生活には勝ちも負けも殆どないよね。
 石鹸を台所で作っている時、誰かに勝つために作っているのではない。売っている石鹸よりも使い心地の良いものが作れて、沢山の喜んでくれる人がいるから作っているだけの話だ。
 これを無理に勝ち負けという視点に当てはめてみると、石鹸の使い心地では僕の石鹸の勝ち、長持ちという点では市販の石鹸の勝ち、利潤を上げるという点では市販の石鹸の勝ち、資源の有効利用という点では僕の石鹸の勝ち・・・という事になるけれど、自分で使ったりプレゼントしたりという条件では倉庫に一年以上保管する必要もないので保存性で市販の石鹸に負けていることは何の問題もない。また、この記事を書いている時点では商売の為に作っているんじゃないから、利潤という点で考える必要もない。
 会社という利益追求の組織にとっては利潤の視点というのは非常に大きい事になるので、肌に良いとか環境に悪影響を及ぼさないというのが二の次になりやすいと思う。その結果利潤を沢山上げられる商品が当然作られる事になる。勝組の条件として販売戦略が優れている事や、とりあえず良く売れるというものを提供するという事が大切になる。けれども、とりあえず良く売れるものと言った所でそんなに大した性能であるとは限らないのだ。
 逆に考えるなら、利益を追求する事によって置き去りにされるものや社会に与える負担というのが相当あるものと考えられる。
 
うちのサイトの仲間には石鹸を自分で作る人が多いけれど、それは安上がりで気持ちの良い生活を送るのに役立ち、作る事自体が楽しいからという理由だと思う。環境に優しいからという理由だけでは長続きする筈もない。以前の廃油を石鹸にしようという運動は、洗濯石鹸だけという場合が多かったし、現在私たちが作っている石鹸で手荒れが改善されたとか肌がスベスベになったというようなレベルでは作られていなかったようだ。
 ともあれ、掲示板仲間の報告を読む限りでは、肌に対する効能・楽しさ・経済性いずれも市販の石鹸が問題にならない位のレベルで作れるようになってゆく人が殆どだ。この文のタイトル風に言えば、断然勝っているという事になるね。勝っているというのは当然性能の話で、利潤なんかでは比べようがないけど・・・ それから、サイトの仲間のオフ会もいつも楽しいのは、きっと利潤の数字が不要な関係だからという理由もあると思う。勝ち負けってやっぱり関係ないような気がするなあ。
 


いなっち |MAILHomePage

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