ディリー?闇鍋アラカルト
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2002年08月07日(水) コミック

 何を隠そう。実はいなっちはかなりのコミックファンなのだ。
 その起源は、幼少の頃、隣が貸し本屋で、しかもそこの店主が親戚で、貸し本読み放題だったのだ。
 僕の読書力はコミックと図鑑によって鍛えられたのではないかと思っている。 親に「漫画ばかり読んでいてはいけません。」などと言われた事は一度もなかった。学校では言われた事がある。何で漫画を読む事がいけないことなのかが当時は分からなかった。今ではそんな事を言う人が分かっていない事が分かる。
そういう人たちは、漫画が活字の読み物に比べて程度が低いと思い込んでいるのだと思う。では、その人たちが程度が高いと思っているのは何だろう。活字の読み物・・・その多くは文学ではないかという気がする。
 僕自身は、現代に於いては文学、特に小説の持っている意味が軽くなったのだと思う。
 僕はベストセラー小説を読む事は殆どない。
 コミックの場合は、週間コミック誌を立ち読みするからベストセラーコミックも目に触れている。
 今日ではコミックも全10巻程度は当たり前になって来ているので、一昔前の小説程度に読み応えのあるものも多い。内容も深くなっている。
 コミックと小説を比べると、小説よりもコミックの方が読みやすい。小説で読むのが大変な割に内容がつまらないのを読むと「時間が勿体無かったな」というように思ってしまうけど、コミックの場合はそんな事はない。大して読み進まなくても内容のつまらない物の判別も着き易いし、暇つぶしに読んだ所で、疲労感も少ない。だから、損をしたなどと感じる事は少ない。

 僕が気に入っているコミックを少し紹介しよう。
「風雲児たち」みなもと太郎が書いている。幕末を描くと言いながら、幕末の意味を読者に伝える為には・・・という事で関が原から話は始まっている。全30巻。その後には、坂本竜馬の話が「雲竜奔馬」として現在刊行中。こちらも面白い。面白いだけでなく、このコミックに登場した実在の人物たちの喜びや苦悩が今に生きている僕をも勇気付けてくれると感じるのだ。例えば林子平が「海国兵談」を書き、禁書とされ版木も没収されながら、手書きで数部でも後世に残そうとした意志に僕は感動するのだ。家なく妻なく子なく金なく版木もなくといって死にたくもない六無斎と称していた。ないない尽くしの六無斎にも金や家族よりも大切な生きる意味があった。強烈な生きる意味を感じた人にとって貧乏である事など不自由ではあっても、それ以上の意味はない。
時の政府幕府は子平を迫害したが、ペリーの2度目の来日の折には、子平の「三国通覧図説」フランス語版によって小笠原諸島が日本の領土であると認められ、アメリカに奪われないで済む事になった。この話は雲竜奔馬に出てくるが、この時に子平を思い、子平の著書の運命を思いじわーっと涙が出て来たのだ。
 もう一つ紹介しよう。「家栽の人」。
 この主人公は家庭裁判所の判事でありながら、園芸好きなので家裁の「さい」が栽培の「さい」になっている。
 社会問題や家庭の問題が扱われるが、アドラー心理学のような切り口もあり、「原作者も勉強しているんだな」という印象がある。ビッグコミックオリジナルに原作者たちのインタビューが載っていた事があったが、やはり回が進むにつれて学ぶ事がいろいろあったと書いてたね。


いなっち |MAILHomePage

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