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ささやかでもない1日
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     2006年08月09日(水)
靖国神社公式参拝は 公約でいいのか?


公約は生きている 
「公約」と「極めて個人的な精神の問題」が 同一のものでいいのかどうか、
誰かわたしに噛み砕いて説明してほしい。


8月15日に靖国参拝する事を小泉首相は「極めて個人的な精神の問題」と、
言いながらそれを「公約」とすることに何の問題も感じていない。
小泉首相自身も、マスコミを含めた国民の多くも…である。
『政治家の公約というのはパブリックなインタレスト(利益)を政策として、
掲げるということで、私的な心の問題を公約にするというのは論理的に成立しない』
…てなことが 潮9月号に寄稿されているようです。
みんなの前で約束するから 公約 なんて幼稚な理屈を、
総理大臣ともあろう人が言うのかね? 
辞め際だから なんか言いそうだなー( ̄▽ ̄)


以下 靖国神社のホームページよりその歴史要約。

靖国神社は、明治2年(1869)に明治天皇によって、
戊辰戦争(徳川幕府が倒れ、明治の新時代に生まれ変わる時に起った内戦)
で斃れた人達を祀るために東京招魂社として創建された。
明治12年に靖国神社と改称されて今日に至っている。
 後に嘉永6年(1853)アメリカの海将ペリーが軍艦4隻を引き連れ、
浦賀に来航した時からの、国内の戦乱に殉じた人達を合わせ祀り、
明治10年の西南戦争後は、外国との戦争で日本の国を守るために、
斃れた人達を祀ることになった。


※斃れた…たおれた


「同期の桜」という軍歌にも表されているように、
死に行く自身を桜にたとえ、潔く散る事を美徳とし、
靖国神社の桜となってまた会おうと友と別れた青年たち。

今のような情報の錯綜する時代と違い、
地方の人間が、靖国神社の何たるかを知るはずもなく、
徴兵された兵学校で、戦死こそ誉れと刷り込まれ、
貴い命を犠牲にしたのであろう。

その合言葉が「靖国で会おう」

靖国を政争の具にするなというけれど、
そもそも国内において、戦時中から政治に利用されてきたのに。

だから、当時の占領地の人民(韓国や中国)が、
人権を無視した日本軍部に嫌悪感を持っているであろう
(悪感情が酷い教育により増幅されてるとはいえ)ことは想像に難くない。
靖国を日本の軍国主義の象徴と見ることは当然といえば当然なのだ。
アジアの中で韓日だけが 靖国参拝を問題として騒いでいる… 
というのは当たり前といえば当たり前の話なのだ。
日本が占領軍として跋扈したのは 韓日だけ。戦争被害の当事者だからだ。
信教の自由を理屈で解っていたとしても、日本の軍国主義の象徴が
靖国神社であるという心象を拭い去る事はできないだろう。

戦後生まれの日本人のわたしだって、靖国神社=同期の桜=八紘一宇 
みたいな図式がすぐ浮かぶ。

過日、第一次世界大戦を舞台にしたバルトの楽園という映画の話を書いたが、
坂東村のドイツ人俘虜収容所における敵国人の人権を尊重した統治を、
日本が当時の満州で、韓国で行っていたら、中韓の嫌日感情というのは、
ここまで酷くなかったと思う。

今年、85才になろうとする満州で兵隊経験のある知人は、
ものすごく理不尽に中国人を虐めてきたと話してくれた。
「意味も分からず、『スラスラっ』ていうと皆が怯えた。
怯えてるところを容赦なく銃で殴ってすっきりした。
女とか男とか関係なかった。
食い物でも女でも、欲しければスラスラって言えばよかった。
スラスラってのは殺すぞって意味やった。
酷い事やが、その時はそれでいいと思っていた。」

知人は 戦争が終って、日本に騙されていたと感じ、共産主義に走る。
組織の青年部で旗を振り、労働組合で体制と喧嘩ばかりして、
会社で万年ヒラを余儀なくされ、定年を迎えて 
それも間違いだったかもなぁと回顧するが、それは余談w

首相の靖国参拝反対を他国がとやかくいうことが、
内政干渉かどうかが問題なのではない。

そもそも 靖国の意義付けを 日本は戦後どうしてきたか…
…が急速に問われているのだ。

それこそ、首相がガッチガチの創価学会員とかクリスチャンだったら、
そもそも靖国参拝はしないんじゃないのか。


61年前の今日、長崎に原爆が落とされて、7万人が犠牲となり、
2度にわたる原爆の洗礼を受けて、日本はようやく降伏を観念した。
アメリカが、敗戦国である日本に対して今のように横暴ではなく、
少なからず復興の応援をしたお蔭で、戦後の復興は早かった。
嫌米感情なんてものも湧かず、どちらか言うとアメリカナイズされていき、
日本はアメリカに対して 尻尾振る犬のように飼いならされてしまった。

今となっては アメリカの思う壺だったのかもしれないが、
とりあえずそのお蔭で、あなたの祖父母も両親も虐殺される事もなく、
生かされて、今日の私たちがある。