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2006年08月15日(火) ■ |
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終戦記念日に何を思うのか
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小泉首相は、お盆休みで夜更かしした私が起きた時間には、 既に靖国神社へ出かけていた。 9時半からの会見で言っていることはもっともらしいことで、 彼が何故靖国神社を参拝するのかを説明するのには特に過不足はない。 しかし、8月15日に固執するんだったら、なんで今までずっと8月15日を 外してきたのか理由がわからない。 まぁ、オイラもう任期切れだし、 辞めたあとは安倍クンがなんとかやってくれるんじゃないの… 的な態度がミエミエ。
それと 前にも書いたわたしが不思議に感じている 公約≠個人の精神的なもの これの釈明はどこからもでてこない。 公約だとか「へ理屈」言わずに、日本人の帰属意識の由縁により参拝する… と言えば、辻褄が合うのに。 内部に向けて自分を正当化するために公約を振りかざすあたり コスイのよね( ̄ー ̄)
そしてこの問題で、わたしが特に大きく嫌悪感を抱くところ、 違和感を感じるところは 嫌韓・中意識ののネオ右翼とも呼べる 戦争を知らない若い人たちが、(わたしだって知らないが) 「やるんやったらやったるぞ、コラ」を、 思想のモチベーションにしているのではないかということ。
日本の平和と安穏を守るために戦争してもいいと思ってないですかね…。
排日感情を煽るだけ煽ったその行く先に、何を望むのか。 先哲たちが手を尽くして切り開いた国交をふさぐ感情を爆発させるなら、 その国交を死守するための代替案を出せ、と言いたい。 極力…というより、断じて戦争を回避すると言う姿勢に勝る代替案を出して、 国粋主義を振りかざせばよいではないか。
毎朝毎晩 世界が平和であるようにと祈る私は それを言う権利がある。
20歳のとき 民青の青年部に囲まれて 「祈るだけで世界が平和になると思ってるのか」と恫喝されたのも嫌な思い出。
祈るだけで平和になるで。と今なら言える。
但し 世界の3分の一の人口が真摯に平和を祈る世界を 作らなくてはならないんだけどね ( ̄▽ ̄)
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