written by 田村 MAILHOME
#宇宙戦争。
2006年03月14日(火)

映画の話。

以前、スピルバーグの「宇宙戦争」を借りて観たのだが、この作品はスピルバーグ最高!という人から、まったくもって駄作という人まで、評価が真っ二つに割れているようだ。ちなみに私は結構好きで、宇宙人の侵略から破滅までを、あくまで逃げ惑う父親の視点から淡々と描いているのが好きだったりする。それ以上にトライポッドの圧倒的な凶悪さは素晴らしい。ボオォォォンという管楽器のそれに似た音とともに出現し、破壊と殺戮を無慈悲に繰り返す恐怖の象徴として見事に描かれている。これは本当に巨大なスクリーンで見たかった。

で、今更何故「宇宙戦争」の話題を持ち出したかというと、2ちゃんねるでたまたまこの作品のスレッドを見つけ眺めていたところ、宇宙人の文明について面白い記述があって、それに妙に納得してしまったからである。
トライポッドを作り出すほどの文明でありながら、何故宇宙人はあんな結末を迎えてしまったのか、という話題だったのだが、それはその文明が非常に偏ったものだったためだという話である。

このレスに妙に納得してしまったのだが、言われてみると、未知なる宇宙から侵略してくる宇宙人というのは、我々地球人より遥かに高度な文明を持っていて、その文明から生み出されたこれまた未知の兵器により圧倒的な軍事力を誇って侵略してくる、というイメージがどうもあるのである。

そう考えると、なるほどあの恐怖の権化のようなトライポッドが怪しい光線で人間一人ひとりをちまちまと血祭りに上げていたり、お前ら地球外で一体何万年の間地球を観察していたんだよと突っ込みたくなるような結末を迎えてみたりするのも何だか説明がつくような気がする。まあ、暗闇でサーチライトがないと何も見つけられないって言うのはちょっとどうかと思ったけれども。で、もしかしたら我々地球人の文明と言うのもまた宇宙人のそれとは違った方向に偏って発展しているのかもしれませんよね。

なーんて考え始めると、また結構面白かったりするのである。




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