written by 田村 MAILHOME
#その組み合わせ
2003年01月13日(月)

ナンバーガール、解散。


もう昨年の話題であるが、このニュースは衝撃であった。狂気とも言える衝動的なサウンドと、冷たい現実をばっさりと切り取ったかのような歌詞で、独自の風景を描いていたナンバーガールの解散である。熱さと冷たさを併せ持った彼らの楽曲が、私は好きであった。残念としか言いようが無い。


彼らの楽曲を出来るだけ多く聞こうと、オフィシャルサイトで取り扱っているライブ盤や、過去に発売されたマキシシングルなどを遅まきながら買い漁っていたのだが、彼らの映像記録を持っていないことに気付いた。
もうこの先、彼ら全員が揃った映像を見る機会はほとんど無いことだろう。多少高価であろうと、やはりここは購入しておくべきか。


早速、ネット通販の定番とも言えるAmazon.co.jpにアクセスする。買いたいものが決まっている時、ネット通販は本当に便利だ。インターネットの急速な普及がもたらした効果は、新しいビジネスモデルの創出であったり、個人が容易に情報発信出来る媒体の創出であったりと各界の専門家たちは分析しているが、要は引きこもりの大量生産ではないかと個人的に思う。インターネットとe-JAPAN計画の罪は重い。


「ナンバーガール」で検索をかけると、彼らの作品リストがアウトプットされる。ああ、そう言えばインディーズのころのアルバムも私は持っていない。やはりこれも買うべきであろうか。非常に気になるところであるが、しかし今回の目的は映像だ。まずはそちらを優先すべきだ。


彼らの映像記録「騒やかな演奏」。相変わらずネーミングのセンスがいい。最新アルバムNUM-HEAVYMETALLIC以前の作品らしく、収録されている楽曲は若干古めのようだが、それでも彼らを代表する曲がいくつも入っている。

酩酊して上ずった声でがなる向井、手数の無駄に多いアヒト・イナザワ、ひねくれた低音を撒き散らす中尾、愛らしい般若顔でギターを奏でるひさ子さん、生で彼らを見る機会は失われたが、その映像は記録される。このリンクをクリックすれば新たな世界が開き、決して色褪せることの無い彼らをいつまでも見続けることが出来る。再生ボタンを押せば、そこは誰もいない電車の中であり、ポケットに手を突っ込んでセンチメンタル通りを練り歩き、感傷のうずまきに沈みながら記憶はOMOIDE IN MY HEAD状態になるのだ。そう、ララァにはいつでも会えるのである。さあ、クリック。






いつでも会えるよね、あやや・・・・・・あやや?
新しい世界が開いてしまったようである






まさか松浦亜弥が出てくるとは思わなかった。


ご存知、今となっては日本に知らない者はいないと思われる、歌って踊れ、且つ破壊光線を発することの出来るアイドル型近未来ロボット、松浦亜弥こと「あやや」である。一体この組み合わせで買った人は、何を思ってセット購入されたのか。人間の心理は奥深い。


あやや初体験は、昨年の紅白歌合戦であった。ほぼ見どころがないと断言して良いところがある意味見どころであった紅白で、唯一私が楽しみにしていた、中島みゆき、中島美嘉、そしてあやや(誇張でもなんでもない)。

「人として有り得ない動きをする」という噂を聞きつけ、一度あややの動きを見てみたいと楽しみにしていたのである。年末の笑っていいともクリスマス特大号ではSMAPの中居正広があややのモノマネをしているのを見たが、その時は随分と誇張しているものだ、これでは本人も憤慨しているだろうと思った。しかし、本物はそれ以上であった(今にして思えば、中居のモノマネはかなり似ていた)。


その動き、その表情、その世界。とてもこの世のものとは思えなかった。そう言えば、この現実離れした感は、ナンバーガールと共通しているところもあるのではないか。

カタナのようなあの娘の言葉、狂ったあの娘はうそだらけ。その二の腕からは衝撃波が発生し、鉄風鋭くなって見る者の脳味噌をプリンに変えてしまう。風は鋭くなって、都会の少女はにっこり笑うのである(このように、歌詞ともベストマッチしていることが証明された)。


人間離れした、劇画チックな動きに私は弱いのである(類型としてテツandトモが挙げられる)。テツandトモは賞味期限が心配であるが、あややは恐らく独りでもやって行けるであろう、心配ない。その後出てきたモーニング娘。など、単なる婦女子の集団であった。句点なんて取ってしまえ!ブラウン管越しに彼女たちに伝えた。


先述したインターネット同様、あややによってもたらされた効果もまた、大きいものがあったのではないか。それまでのアイドルがターゲットとしていた層は、やはり「アイドルが好きな」層がほとんどではなかったか。しかし彼女は、「アイドル好きな」層とともに、「色物好きな」層のニーズ開拓・取り込みにも成功しているのではないか。アイドル好きはそのアイドル然としたあややに心酔し、色物好きはその動きと世界観の虜になるのである。

それだけでも、ひとつのターゲットに特化したアイドルに比べ基礎体力があると思われる。マーケットは飽和状態で、日々同じような顔をしたアイドルたちがとっかえひっかえ出てきてはメディアの巨大な渦に飲み込まれ、藻屑と化す中、あややの存在は特異と言わざるを得ない。



気付いた時には、既にボタンを押してしまった後であった。ああ、何か大事なものを踏み外してしまっていやしないだろうか・・・。




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