written by 田村 MAILHOME
#顔のつくりと遺伝
2002年12月14日(土)

文字サイズを大きくして、スペースを稼ごう。などとせこいことは勿論考えていない。嘘だと思うならこの目を見てほしい。僕を疑うのか!

 

友人との会話で、たまたま顔の話になった。

顔の話題になると、いつもネタで話すことがあるのだが、私の顔は、家族の誰とも似ていないのだ。

どこがどう、といわれると難しいのだが、兎に角似ていない。
造型自体、違っているといっても差し支えない。本当に血が繋がっているのだろうか。幸いなことに、自宅から徒歩30秒で橋まである有り様だ。あまり笑えないのかもしれない。今更「実は・・・」などと切り出されても困る。

 

仮に橋の下であったとしよう(あくまで仮である)。
一体自分はどのタイミングで、出生の秘密を教えられるのか。例えばドラマなどでは、20回目の誕生日など、大抵切りのいいところでその秘密を聞かされるものである。それは今まで両親だと思っていた人によって。

 

自分の場合はどうであろうか。

20回目の誕生日はかなり昔に過ぎてしまった。タイミングとしては、その辺りが最も適切だとは思うが、過ぎてしまった物は仕方がない。今更20歳などと主張すれば、ある意味犯罪である。

あと切りが良いところと言ったら25、30ぐらいであろうか。それ以降は、タイミング的に有り得ない。そんな遅くに聞かされても、聞かされる方も迷惑だ。三十路を過ぎたいい歳の大人に向かって、「実は・・・」も何もないだろう。
とすると25であるが、それは先月過ぎてしまった。いくらなんでもこのタイミングでは遅すぎやしないか。やはり今更聞かされたところで困る話だ。タイミング、逃してるし。

30という線も考えられなくはないが、30といえば而立、己の能力をこれから発揮する重要なターニングポイントだ。スタートダッシュをくじくつもりか。

などと考えると、切りのいいタイミングなどないことに気付く。

26、27辺りの誕生日に言われても困る。そんな中途半端な。私は中途半端がモットーだが、周りまでそれでは困る。誰もフォローできないじゃないか。
いや、本当はタイミングを計るなど、そこまで深慮していないのかもしれない。ある日なんでもない日に、いきなり切り出されるかもしれない。いい迷惑だが、うちの家族ならやりかねない。そう考えると、夜も熟睡できなくなる。明日、いきなり告白されるかもしれないのだ!誇張が過ぎた。

 

ちなみにそこまで話したところで、友達には呆れられてしまった。

 

ただ更に白状すると、この話はここ最近考え付いたわけではない。10代ぐらいから結構真剣に考えていたし、勿論今も継続中である。脳の容量はもう少し他のことに使いたいと、最近、切に思うことが多い。



誕生日の話が出たが、私の誕生日は11/15である。既に一ヶ月前の話であるが、まだまだ贈り物は受け付けている。どうせなので、受付期間はあと11ヶ月ぐらい延長してもいいくらいだ。




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