2010年01月08日(金)  できのいい 子供はダメな 親にくる?


親バカは承知だが、ほかの子たちと遊ぶまなティとこうティを見ていてつくづく思うのは、2人とも本当にいい子だということ。もちろん子供なので悪さもするし、(いつも書いているように)扱いにくいところも多々あるが、何が違うかというと、聞く耳を持っているということだ。親の注意をよく聞き、心にしっかりと刻むことができる。まっすぐな性格だ。


2人は基本的には仲良しだが、ケンカもよくする。基本的にまなティがしかけている。そんなときに何よりもよく効くのが、「こうティは神様から預かってるんだから、仲良くできないならもうこうティを神様に返しに行く」というヤツだ。

「まなティが寝てる間に返しに行くから、今のうちにさよなら言って」と付け加えると、涙をポロポロ流し始め、「仲良くするから神様に返さないで!」と懇願し、こうティに謝りに行く。いて当たり前だと思っている弟を失うことをイメージすることで、姉弟のいるありがたみを味わって欲しい。


ところで、子育てについて。

うまい言葉が見つからないので、誤解を恐れず書くなら、私はどうも子育てに熱が入っていない。もちろん子供たちを愛していないという意味ではない。ほかのお母さんたちのように、わが子を自分の一部のように思えないのだ。

妊娠中は紛れもない私の一部と感じていたし、まなティが生まれてしばらくは、熱の入れようもほかのお母さんたちに匹敵するものがあったように思うが、冷たいように聞こえるかもしれないが、それは赤ちゃんが目新しい存在だったからだろうと今になって思う。

まなティともこうこうティとも血を分けてる実感もないし、ましてや自分や相方の分身とも思えない。たまたま同じ船に乗り合わせた「仲間」のような感じだ。しかし、2人とも大人のサポートがなければ生きていけないのは事実なので、その助けは喜んでしようと思う。船旅が楽しくなるために、いろんなことを一緒にしたいと思う。そして、一日でも早く私たちの助けがなくても生きていけるように、毎日少しずついろんなことを教える。

ようするに、私の人生の主人公は私でしかない。まなティはまなティの、こうティはこうティの人生を頑張って生きてね!という感じだ。助けが必要なら助けるし、わからないことは教えるが、基本的にそれは1人で生きていけるようになるためだ。

だから、変に子供を特別扱いして優先したり、自分の気持ちを殺して子供に気を遣ったり、ウソついて取り繕ったり、身をすり減らして献身的になったり、猫なで声を出したりしない。世間に出たら、そんなことしてもらえないのだから、小さい頃から慣れて欲しいのだ。ということで、子供に対する私の態度は「素」だ。ちょっとくらい突き放すくらいでいいのではないかと。


と、ここまでは偉そうなこと書いているが、正直なところ、私は自分のことで頭がいっぱいで、子供のことは後回しになっているフシがある。例えば、食事中に「やっぱりスプーンもいる」とか言われても、「自分で取って」だし、幼稚園からのおたよりも流し読みしてすぐに捨ててしまうので、集合時間がわからないとかしょっちゅうだ。

こんな頼りない母親に育てられている2人なので、なんでも自分でできるようになるのも早いだろう(と、正当化してみる)。いや、私がこんなスタンスで子育てできるのも、2人ともできのいい子供だからだろう。できの悪い親には、できのよい子供が与えられるのだろうか。


つづく。


↑投票ボタン(文字が変わります)



---
>>「匿名メールフォーム」へのレス

・そうですよね。
 頼もしい弟子です。

日記のもくじ昨日の日記明日の日記
たまり |mailHP