2005年01月26日(水)  不安感 拭い去れずに ドーナツを


靴下を履いて寝ると暖かいということに,29歳にして初めて気づきました。

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近くにミスドができたので,行ってみることにする。考えたら8年ぶりくらいだった(たぶん)。閉店1時間前だったので,ドーナツの種類が5種類くらいしかなくてがっかり。とりあえず,エンゼルフレンチととうふドーナツ金ごまを食べた。それなりに旨かった。コーヒーのお代わりをして,本と雑誌を読みながら閉店までいた。リラックス。


昨日は相変わらず落ち込み気味だったので,夜仕事から帰ってから相方に電話した。前にもここに書いたけど,相方は女の扱いに長けている。寝ていたところを起こしてしまったのに,私の愚痴や悩みをウマイこと引き出してくれて,30分ほどで私をスッキリさせてしまった。

相方が私の不安の原因を「どうしてそう思うの?」と根掘り葉掘り聞いてくるので,私も「だってね〜」「だってね〜」と答えながら自分を探っていくうちに,己の不安がとんでもないところから発していることにはたと気がついたりする。(相方は私の自然治癒力(?)を引き出す天才だ)


私の不安は常に仕事のことである。私の場合,仕事が私のアイデンティティの深いレベルにまで食い込んできているので,大げさに聞こえるかもしれないが,仕事が衰退していくことは私自身のアイデンティティが崩れていくことを意味するのである。私から今の仕事を取り去ってしまったら,私にはもう何も残らない。

その仕事が将来どうなっていくのか,このままではいけないのではないかという漠然とした不安が,周期的に私を襲う。そして,自分の描く夢は私の能力では到底実現不可能なのではないかという暗澹たる思いにさいなまれる。私は高望みしすぎているのではないか,と。

不安の原因というものは,口に出すと意外にチッポケでクダラナイものだ。そのチッポケなきっかけを核として,自ら大きな不安を作り上げているだけなのだ。幻の雪だるまみたいに。なんでそんな無意味なことを自らしてしまうのだろう。


自分の夢に向かってまい進している人を雑誌やテレビで見るたびに,自分と彼らとの違いはなんだろうと考える。どうも,私が一番懸念している「能力」というところではないように思う。

夢に向かってまい進できる人は,まず自分というものをよく知っている。過大評価や過小評価することなく,ありのままの自分を受けとめることができていると思う。その結果,自分を信じることができるのではないかと。この自分を信じられるか否かが運命を分けると思うのだ。自分を信じられなくなったら,どうしても他人の無責任な意見に左右されてしまうから。

自分を信じるためにはどうしたらいいのか,とさらに突き詰めて考えてみる。これは前回書いた,基礎体力の有無じゃないかと思う。信じられるほどの体力(体と精神の)をつければ,おのずと「私はできる」という自分への信頼も高まっていくのではないかと。

やっぱり基礎体力をコツコツとつけるしかないみたいだ。


私が周期的に不安になるのは,私が思う自分の基礎体力と,実際に私が持っている基礎体力の差を感じたときだ。つまり自分をいつの間にか見失っているとき。そういうとき,途端に自分はダメだという思いが襲ってきて前に進めなくなる。そして,しばらく立ち止まって,自分に足りないものは何かと考える。

こうやって落ち込むことで,理想の私と現実の私が足並みをそろえているのかもしれない。暴走する自分をスピードダウンさせているのだ。不安感だって存在する意味があるはずで,しかもそれは肯定的なものなのだ,きっと。


つづく。


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>>「匿名メールフォーム」へのレス

・昨日はレスするのすっかり忘れていました,すみません!
 結局風邪でした。
 また,風邪引かない歴,最初からやり直しです(涙)。
 でも,おかげでなんだかスッキリしました。
 気持ちの方の毒も出たみたいだし。

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