たそがれまで
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2004年03月15日(月) 重みの違う「ありがとう」


春らしい陽気になってくると
つい掃除がしたくなる。
普段はなかなか気が向かないのだけど
お日様の光りっていうのは偉大だと思う。


夜、夫がお風呂に入っている時、
脱衣所で洗濯物を片づけていた私は中の夫と二、三話しをした。

会話の流れの中で、浴室の床を磨き上げたことを自慢げに告げると
思わぬ返事が返ってきた。


本当に綺麗になってる。
ありがとうね。




その言葉を聞いた時、
嬉しいというよりショックだった。
なぜ、「ありがとう」なんて言えるんだろう。

夫はなんにつけてもきちんとお礼を言ってくれる。
お茶を入れてあげても、新聞を取ってあげても
必ず「ありがとう」と返ってくる。
当然といえば当然なのかもしれないけれど、
その当然ができない人もいる。

お茶くらい入れて貰って当然。
新聞を取ってくるのは当たり前。
妻は夫に尽くすのが義務。

そんな考えの人だと、決して「ありがとう」なんて言葉はない。
だけど夫は違う。きちんと言葉にしてくれる。

だけれど、お風呂の床を掃除したのは決して夫のためだけではない。
頼まれていたわけではないし、強制されたわけでもない。
私も使う、子供達も使う、皆で共有する場所が汚れていたから
私が気になって掃除をしただけのこと。

それに・・・
掃除するのは、一応養ってもらっている妻としての
役目という考え方もできるわけだし。


なのに夫から返ってきた言葉は「ありがとう」
私には決して言えないシチュエーションの「ありがとう」

たった一言なのに、この人には勝てないと思った。
巷にも溢れている言葉だけれど、その厚みが違うと感じた。

まあそんな大袈裟な話しではないのだけど、
これってつまり・・・

惚気てるということですね。






というより、いつも綺麗にしていれば
こんな会話にはならないんだろう。








東風 |MAILHomePage

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