たそがれまで
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2003年11月12日(水) 誕生日





子供の頃は誕生日がとても嬉しかった。
プレゼントやケーキも楽しみだったけれど
年齢が一つ増えるということが、一歩大人に近づくようで
とてもとても嬉しかった。

早く大人になりたかった。
大人になれば自由に生きていけると思っていた。
思い描いていた「自由」はとても漠然としたものだったけど、
大人へのビジョンは決してマイナスのイメージなどではなかった。


いつの頃からか、
大人になっても楽しいことばかりじゃないことを薄々感じだした。
もしかしたら、大人にならない方が楽かもしれないと思った。

自分の意思で自分の生き方を選択できる楽しみと同時に
自分で選択した以上、つきまとう責任。
それでもやっぱり大人になりたかった。大人に憧れた。


大人になってみると、自分がどれくらいの幸せにたどり着くか
おおよその見当がついた。
幸せがゴールならば、そのゴール付近の風景が見えた気がした。

それは子供の頃に憧れた煌びやかなものではなく
どこにでも転がっているような、ありきたりの幸せのような気がした。
それはほんの少しの落胆だったかもしれない。

だけど、そのありきたりの幸せでさえ手に入れるのは難しかった。

ゴールテープを切ったと思った時、行く手には次のテープが張られた。
次のテープを切ったと感じた途端、急な下り坂を転がり落ちた。
上を見たら、遙かかなたにテープが光って見えた。
だけどゴールテープを切っても切っても、本当のゴールにはたどり着かない。

だいたい、ゴールってなんだ?
何をもってゴールとするんだ?
「幸せがゴール」と云ったって、その「幸せ」の基準はなに?

大人になるということは、自分の都合の良いように
理屈を並べたてる知恵がつくということだとわかった。

そんな大人になりたくないと言う、今時の若者の方がうんと大人かもしれない。
でも、憧れていたのとは随分違うけど、大人って結構楽しい。
というより、生きているってわりと面白い。
喜怒哀楽があるからこそ、面白いんだ、きっと。

そんなふうに思うことができるようになってやっと、
大人の仲間入りができたと感じる37回目の秋。

もうローソクの全てをケーキに差すことが困難になりつつあるけど
やっぱり誕生日って嬉しい。
そして、母へ感謝をする日。
ありがとう、お母さん。





東風 |MAILHomePage

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