たそがれまで
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2003年08月16日(土) ひとりごと 2




昨夜遅く、元姑からメールが届いた。
予想していた通り、「NO」という返事のメールだった。

まあ仕方が無い。
人はそれぞれに考え方が違う。
またいつか機が熟す時が来るだろう。
それまで待つしかないようだ。

考えてみれば、私も子供が可愛い。
だから姑の気持ちもわかる。
子を思う親の気持ちに非難はできない。
例えどんな子供であろうと。

だけど元舅姑の二人の子育てから、反面教師で学んだことがある。
「我慢」のできる子供、
自分で自分にブレーキをかけることの出来る子供に
我が子を育てようということ。

「我慢」を知らなかった元夫は、最後には全てを失ってしまった。
いろいろな物を手に入れたと思っていたたろうけど
すくってもすくっても指の隙間からこぼれていたのだ。





眠りにつくまでの間、夫といろいろ話しをした。
これまでのこと、これからのこと。
確認し合ったことは、私達はこれからも今までのスタイルを崩さない。
ということ。

私達の方から縁を切ると言い出すことはない。
例え誰に非難されても、私達はこのスタイルを変えるつもりはない。
もしも気が変わったら、我が家にだって遊びに来てほしい。
まあそんなことは到底叶うはずもなさそうだけど・・・。


夫と話していると、あることに気がついた。
「ほんとお前は、明らかに問題のある人を好きになってきたよな。
 それでも許せるっていうのだから、すごいと思うよ。」
そんな夫の言葉から、思い当たることが出てくる出てくる。

問題があるか無いかは別として、どうも私はマイナス要因、
つまり欠点の方に共感するようで、自分と相手の共通の欠点を
見つけだしては好きになってきたみたいだ。

自分に無いものを求める人は多いけど、
相手にも無いからと安心するのは私くらいか。
だから相手の弱い部分がよく分かる。
分かり過ぎて怒れない。

相手を非難することは、私自身を非難するのと同じ。
無意識でそうだったんだろうと今更ながら思う。

明らかに非がある相手を許すということは、
結局自分自身をも甘やかしているのと一緒。

そうやって甘やかし続けてきた結果が、
現在の私の人生だろう。






「許す」と「甘やかす」は違う。

そんな簡単なことに、昨日気がついた。
まだ遅くはないよね、人生はまだまだ半分残ってる。








東風 |MAILHomePage

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