たそがれまで
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2003年08月13日(水) お盆  の話しだったのに・・



今年もまたお盆がきた。
亡き人の魂が、家族のもとへ帰って来る。
少なくとも、仏教を信仰する者にとってはとても大切な日である。

私は熱心な仏教徒ではないので、罰あたりかもしれないが、
お盆と云う日のことを昔からの風習として捉えている。

13日には白玉でお団子を作り、提灯を持って納骨堂まで魂をお迎えに行く
14日にはおはぎとお膳を上げ、15日はお素麺に7回ほどお茶を変える。
そして再び送り団子を供え、提灯の灯りで魂を送り届ける。

他にもお供え物や線香の上げ方など細かい約束ごとがあるし
地域や宗派でいろいろと違っているようだけれど、
忙しい日々の中で自分の先祖や愛しい人達のことを、1年に一度くらいは
ちゃんと思い出して敬おうってことじゃないのかな。
(こういう解釈はすごく大雑把でお叱りを受けるかもしれないけれど)

子供の頃には仏壇が無かった我が家でも、必ず祖母の家に行き
いろいろなしきたりを教わってきた。
一つ一つのことに意味があり、大切な事なんだと祖母に聞いた。
子供の頃には物珍しかった出来事が、いざ自分がそれをする段になると
ちょっと面倒になったりもする。

「お母さんごめんねぇ〜、自己流で」
なんて言い訳しながら、少しずつ儀式を省略してたりもする。
仏壇の中で、父も母も笑っているだろう。お前らしいねって。

ううん、正直に書いてしまえば
仏壇の中に二人が居るとは思っていない。
二人の魂は必ず近くに居ると思うけど、おとなしく仏壇に納まっているわけがない。
というよりも、二人はいつも傍にいる。だからお盆だけが特別じゃないんだ。

だけどお盆という風習(こう書くことに少し抵抗があるけど)が嫌いではない。
昔は親戚一同が揃い、食事をしたりお酒を呑んだり。
浴衣を着て近所の盆踊りにも出かけた。
そもそも盆踊りって、帰ってきた仏様の魂を慰める為の行事だった筈で、
それが今では夏祭りの余興に成り下がってしまった。



少しずつ日本が変化していく。
それは当然といえば当然のことで、私自身いろんなしきたりを省略している。
だけど、一つ一つの細かいしきたりを全部全うしようと思えば、私だけの
力ではもう無理なのだ。
一から十までを知る人が私の周りに居なくなってしまった。

だからその心だけは大切にしたいと思っている。
その心だけはきちんと子供たちにも伝えたいと思っている。
それは大袈裟かもしれないけれど「日本の心」「日本の文化」の継承にも
なるんだと思う。


私は「にほん」と云う国が好き。
敢えて平仮名にしたのは「ニッポン」という呼び方ではなく
あくまでも「にほん」に執着しているから。
イメージだけの話しだけれど、どうもスポーツでお祭り騒ぎしている時だけ
自分の国の名を連呼するのが好きじゃないから。

だからと云って右でもないし、当然左でもない。

純粋に、この国の文化や風習やしきたりっていうものに
愛着を感じているだけ。
春になると桜を愛でて、夏になると虫の声に耳を傾け
秋には大きな月を見上げ、冬には純白の雪を見ながら徳利をかたむける。
そんな、自然と共存して自然に感謝し続けてきた日本という国が
ただ単純に好きだというだけ。


これって「愛国心」だよね。
先日テレビを観ていたら、この言葉から連想されるものが
忌まわしい戦争に関するものばかりでがっかりした。

街角で若者にインタビューをしていた。
「日本という国が好きですか?」と。
答えは「嫌い」という返事が圧倒的で
政治家がどうのとか大人達がどうのとか。
自分達は楽をすることしか考えてないくせに、人にせいにするなって。
いやいやこれは自分も同じだ。


どうなったら若い人達は
自分達の住む国に誇りを持てるように・・
いや、好きになることができるのだろう。





兎にも角にも、明日は仏壇におはぎをお供えしよう。
母も大好きだったから・・・
難しい話しはその後だ。









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