たそがれまで
DiaryINDEXpastwill


2003年07月15日(火) 事件について思うこと  言いわけ





前回もこの日記に
「長崎幼児殺害事件」のことを書いたけれど
あちこちでこの事件について書かれた日記なりコメントを拝見した。


少年法の改正を声高く訴えておられる方、
被害者側の意見の方、
加害者側の意見の方、
人それぞれに価値観があり
思うところも願うところも違っている。



親の育て方が悪い。
少年法を改正して厳罰に処すべきだと訴えられる方の多くは、
独身者、もしくはお子さんが小さい方が多かったと思う。
そして、子育てが終わって我が子が独立をした方々だった。

加害者よりの意見の方は、子育て真っ最中の方。
それも犯人と同世代か、私のように小学生を子に持つ親。

こんな事件は許されるべきではないと思いつつ、
でもどうしても一言、言いたい。


子育て未経験の方に言いたい。
子育てって、自分の思うようにはならないんだよ。
なぜなら相手は小さいながらも人間だから。
心を、意思を持った人間なのだから。

そして子育てをしている親も人間なのだ。
完璧な人間などは居ないと思うから
不完全体の人間が、迷いながら子育てをしているのだ。
時には間違うこともある。
間違いを間違いだと気がつかないこともある。
時間が経って、ああ、そうだったのかと
取り戻せない時間を悔やむこともある。

あなたが親になった時、どれだけの子育てができるというのか。
理想を語るのは容易いことで、現実はそんなに甘くない。


そして、「今時の親は・・・」
と子育てを終わった人によく言われるが、
あなた方が子育てをしていた頃とは、環境がまったく変わっているんだ。
情報だけが先走り、バーチャルの世界が市民権を得、
子供ばかりでなく親さえも振り回される時代。

昔は子だくさんの家庭が多く、親は独り独りになんて
構っていられなかった。それでも子供がちゃんと育っていけたのは
近所や周りの大人が時として親代わりに成り得たからだ。

今の時代、現実にそういうことは望めない。
理想は確かに地域での子育てだけれど、そう叫ばれて久しいけれど
どれだけ踏み出せたというのか。

結局、各家庭の中で悩みながらの子育てが続き
ストレスを抱えた大人と、ストレスを抱えた子供が同居しているという
悲しい現実が続いているんだ。

親は不況やリストラで苦しみ、
子供は将来の不安や絶望感に押し潰される。
大人でさえ明るい将来を見いだせないでいるのに
子供に「夢を持て」と言ったところで絵に描いた餅。


言い訳を並べているんだとわかっている。
自分の不甲斐ない子育てを言い訳していると。
ほんのちょっとボタンを掛け違えただけで、
大きく道が分かれてしまう恐怖を感じる。

だから言い訳せずにはいられない。
毎日報道されるニュースを聴いてそう思う。


だけれども、被害者の方が尚一層の心理的被害を受けておられることを思うと
こんな言い訳は意味を持たないのかもしれない。





東風 |MAILHomePage

My追加