たそがれまで
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2003年07月09日(水) 事件について思うこと


今日のテレビニュースで流れた「幼児殺害事件」の犯人。
あまりにもショックだった。

おそらく中高生くらいだとは思っていたが、まさか12才の少年だとは・・・

「逮捕」ではなく「補導」。
少年法でしか裁けない。





私の息子は10才。
毎日ランドセルを背負って、元気に学校へ行く。
帰宅するとすぐ冷蔵庫を開け、何かないかと物色する。
テレビゲームをするのが好き。
プラモデルを作るのも好き。
友達と外で遊ぶのも好き。
宿題も嫌々ながらちゃんとする。
母の手伝もする。
妹と喧嘩もする。

どこにでもいる子供。だと思っている。
でも犯人と2才、学年でいうと3学年しか違わない。
それがショックだった。


おそらく、犯人の両親も、
我が子はどこにでもいる子供だと思っていたはず。
愛情を込めて育てていると思っていたはず。
生まれてきたことに感謝をし、育っていることを愛しみ、
立派な大人に、素直な大人に、心優しい大人にと願っていたはず。


どこでどう歯車が狂ったのか。




こういう少年事件が起こると
テレビやニュースでは評論家風の大人達が
原因や状況や対策なんかを議論する。
家庭環境がどうの。
他人とのコミュニケーションがどうの。

毎回同じ顔ぶれで、毎回〆の言葉も同じ。
そしてまた、いつの日か形を変えて事件は起こる。

もしも家庭環境がどうのというなら
私の息子だって娘だって、普通の家庭環境では育ってきてない。
大人のエゴで寂しい思いもさせた。
私も子供だけを見つめて生きてこられた訳じゃない。



こんな事件は許されることじゃない。
人の命はおもちゃじゃない。
リセットボタンなんてあるはずも無いのだから、
失った命が元にもどることはない。


解っている。
だけど、両親だけの責任なのか。
それが両親の責任なのか。

犯人の両親は、今どんな気持ちなのだろうか。
これだけ世間を騒がせた事件の犯人が我が子だと知った瞬間、
子供が連れていかれる時の気持ち。
いや何よりも、尊い小さな命を奪ったという事実を
どのように受け止めたのか。



何を悔い、何に祈るのか。
そして何を詫び続けるのか。




息子が、娘が、
将来何か事件を起こすなんて想像できないけれど
その可能性がゼロかと問われれば、正直自信が無い。
信じていないわけではない。
決して我が子を信じられないわけではない。

でも、多分、
私のこれまでの子育てに自信が無いのだ。
良い母ではない自分に自信が持てないのだ。
出来ることは全てしてきたと、胸を張って言えない。

なんと情けない母だろう。
だけど、思う。
もしも、もしも、子供が過ちを犯してしまっても
おそらく我が子のことを心配するのだろう。
我が子の健康を祈るのだろう。
犯人の親としてではなく、ただの母として。




だけど、そうなる前にすることはある。

命の重さ、
命の大切さ、
切られた痛み、
切る痛み、
せめてそれだけでも伝えていかなければ。

それが今からの私にもできること。







せめて駿ちゃんの魂が
迷わず空へかえれたことを願う。
どうぞ安らかに・・・







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