るり子の日録【愛が終わる日】
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るり子



 一方通行のコミュニケーション

彼からたった一言





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というメールが

昨日 月曜朝、届きました。





そのメールが来る前日に、

私は自分自身がなすべきすべてのことをなし終えていました。







電話をかけても繋がりません。

居場所もつかめません。






できるのは

ただメールの送信と

留守録を入れることくらいでした。






電話が繋がらなくなってから

就寝前の五時間あまりの間に

私はできるだけのことをしました。






例えばメールなら、こんな風にです。






「どうして私を拒否するの?解決の糸口はいらないの?」

「終わりにしたいの?気持ちがわからない。」

「こんな淋しい終わり方はいやよ。理解しあいたいの。」

「電話ちょうだい。待ってる。」

「理解しあいたいの。待ってる。」

「私たちおしまいなの?それすら解らない。」

「信じて待ってる。電話して。」

「お願いだから怒らないで。対話して。待ってるから。」

「嫌いなら嫌いといって。別離なら別離と言って」

「会話は大事よ。会話を拒否しないで。お願いだからお返事して。」

「でも、私たちがこんなに簡単に別離するなんて、

ていうか、関係が浅いなんて、とても信じられない。」


「あなたが自分は変わっていないというのだから、

それを目安にしてまた感じ始めるから、ご機嫌直して。」


「ごめんね。就寝前のメールきっとちょうだいね。」



翌朝、

「おはよう。今日もいい日になるといいね。

私はフレックス出社するつもりよ。」


というメールをだした一時間後くらいに

その彼からの

たった一通のメールは届いたのです。






私はその語尾に注目しました。

語尾が『ね。』ではなく、『な。』

だったことで、

未だ納まらぬ彼の怒り を感じていました。






案の定、

それきりメールは

再び

途絶えました。






私はこの件に関して、

ストーキングのような一方的感情の送信を

それ以上したくはありません。







私にできる残されたことは、

いつもの調子の メールを

いつものような 頻度で

いつものように さりげなく

送信すること だけです。








その

彼のたった一言のメールは

私の喉に

鋭い痛みとして記憶されました。

それまで何の痛みも感じなかった私の体が

正直に反応した最初の部位でした。






感極まるとその感情が喉に来るんですね、

私には 初めての経験でした。






その後再び

コミュニケーションは

私からの一方通行に戻りました。






優しさが壊れた彼は

もう私の愛した彼ではないと

思い知るには充分な

彼の 徹底した私への無視でした。




でも、

今でも信じられないのです。

彼が私を嫌いになる?

そんな馬鹿なことが起こるはずがない。



私が彼を嫌いになる?

そんなことは夢にも思わない。





私が比較的憔悴していないのは、

こんなことで私たちの関係が壊れるほど

私たちは脆弱な関係を構築してきたはずではない

ということを

心の隅で覚醒しているからだと思うのです。





このまま黙り続けてしまう彼なら

私はいらない。

そう思う心も片方にあります。





でも、語尾がどうであれ

最初の一言はすでに彼から発せられたのです。

次に続く言葉を引き出すために

私は天岩戸の踊り女の如くなりましょう。





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2003年04月01日(火)
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