三十路女の”おもてなし道”! - 2002年07月29日(月) 18の時から親元を離れて、いい加減な 暮らしをしていた私は、この歳になっても、 ”ちゃんとした事”がとっても苦手である。 一番マズイと自覚しているのは、なんと言っても 「おもてなしの心得」。 その原因は大学時代の男友達とのつき合い方にあると見た! ヤツらは良く夕方になると、よくご飯を食べにやって来た。 大してマジメに大学に行ってなかった私だが、 卒業できなくて、田舎の両親に「なんで、あんたは いつもそんなにいい加減なの〜」とさめざめ泣かれても 困るので、代返なんかしてもらいつつ、 約(笑)必要最低限は通ってた。 でも、たまに出校すると、たまのことだからスッゴク疲れる。 「やぁ〜、一仕事したねぇ〜」ってな感じだ。 そんな時に限って、アパートに戻ってみると、外階段の所で 2〜3人の食い盛りの男友人達が 「お〜い、おせーぞ!プン!」等と 約束もなんにもしてないのに、座ってたりする。 で、私を叱ったりする。 近所から男出入りの激しいふしだら女 と思われては困るので、サッサと部屋に通したりして、 何故か私もイソイソと食材をスーパーに買いに行き、 彼らの夕飯込みの自分のご飯を作るのだ。 マザーテレサみたいだ。 その間彼らは、鴨居に掛けられた物干しに吊しっぱなしの 私のブラジャーやパンティー、学校の課題の為、壁に貼った 私のヌードショットをバックに思い思いにテレビを見、 雑誌をめくり、話をしたりと過ごすのである。 もちろんお出ししなければならない飲み物等、 めいめいが勝手に冷蔵庫を開けて飲む。 ご飯を作るだけでも手いっぱいの私。 そんな所まで面倒見てられるかぁ〜! 要するに、茶は各自で調達して飲み、気ままに 何時間でも、という「野放し状態」が ”売り”だったのだ。 そんな生活を経て社会人になり、今度は忙しい 毎日になってしまった私のアパートには、滅多に友人 も来ることなく日々がすぎていった。 で、今さら困るのは「おもてなし」。 例えば、友達の家に遊びに行ったりすると、 ここらで違うものが飲みたいなあぁ〜等と思えば 入れ立てのコーヒーがやってきたり、おいしいケーキ や果物といったオプション的なものがタイミング良く 出てきたりするのだ。 「あ〜あ、ここ居心地がいいな〜。養女にしてくんないかな〜。」 と私はオオサンショウウオのようにグデェ〜としてしまう。 そんなに良いお手本に数々接しているにも関わらず、 私はまったくその経験を生かせない。 まったく学習能力ゼロの女。 妹がわざわざ三鷹から1時間もかけてきてくれた時には、 「お腹すいたら、中華の出前ね。ラーメンでいい?」 ・・そんな提案をする始末である。 もちろん、心では思いっきり「ようこそ!我が家へ!」 又は「いつでも来て!来て!」モードなのだが、 今ひとつ「来ていただいて有り難う!」を うまく行動で示すことができない。 気の利かない性格もここまで来ると、 これから先の人生、孤独になりそうだ。 だから昨日、隅田川の花火大会で6人の客人が来たのには ひじょーに困った。 出掛けてたから、手料理を出せなかったりしたのはしよーがない。 が、そっからが悲惨だ。 初めは冷たいお茶を出したが、おかわりのといっても氷がない。 コーヒーの粉も底をついてたから、コーヒーも出せない。 紅茶もない。あるのは、先日友人から送って もらった味を無視したという健康茶のみである。 だから、その一回目に出した各自の茶の減り具合が気になって、 話の輪に参加するどころではない。 あと5センチ、あと3センチとコップの残りの量を目で測っては 心臓発作一歩手前。 おまけにお腹が十分空いてる時間だったにも関わらず、 食い物もないので、全員でお土産のスイカを一玉食って 空腹を満たしてしまったではないか。 「な〜んか、鈴虫とかコオロギになった気分よね〜ハハハ」 という冗談を言われたものの、まったくその通りだったので、 つい「いや〜、上手いことを言う!」なんて私もつられ笑い。 笑ってる場合か! 毎回、自分のもてなし方を反省する私。 でも、全然向上しない。 私の「おもてなし道」は”苦笑”という顛末に 通じているらしい。 才能ないんだな。 でも、人には遊びに来てもらいたいので、こんな私の家 で良かったら誰か来てください。 おしまい。 ...
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