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■消去法の幸福。
諦めているのが悲しいとか、 消極的がよくないとか、 なんとだって言えるだろう。
だけどどうして、ただ、 私では幸福にできないと知っているから。 「当たり前」とか「普通」とか「ありふれた」とか。 そういうものが本当はどんなに貴重で、手にしている人には当たり前でも、手に入れられない者にとっては、どんなにか憧れの対象で、絶対に手に入らなくて、努力とかそういうことでは補いきれないものなのか、知っているから。 私の彼女が私の子供を欲しいと思った時、私が彼女に私の子供を産んで欲しいと思った時。或いは逆の立場でもいい。 「その代わり」の何か、どんな素晴らしいものを二人で築けたとしても、代わりは代わりでしかなく、私達が本当に欲しいと思う、私達の子供を誰も授けてはくれない。
無責任な励ましを口にする人達は、何も与えてはくれないのだから。
せめて、あなたが幸福になれる可能性に賭けてはいけないだろうか。 せめて、私に会う時ぐらい悩みから遠く離れ、安心していて欲しいと願ってはいけないのだろうか。 笑っていて欲しいと、それだけでいいと、 あなた自身を望まないことが悲しいだろうか。
欲望のままに、苦難も悩みも共に、ふたりになることを選ぶことが、 選ぶことだけが、素晴らしいだろうか。
幸福でいて欲しい。 片思いを続けるという選択が、エゴイズムでも。
その場凌ぎでも何かの代わりでも慰めでも暇潰しでもいい。 落ち込んでいても泣いていても、笑っていても幸福でも不幸でもいい。 その声を聞かせてくれさえすれば。
あなたが私を思い出したと知るだけで、 ささやかな幸福の花がここに咲く。
2004年05月06日(木)
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