告白は喉の奥
L.ニトロ



消去法の幸福。


諦めているのが悲しいとか、
消極的がよくないとか、
なんとだって言えるだろう。

だけどどうして、ただ、
私では幸福にできないと知っているから。
「当たり前」とか「普通」とか「ありふれた」とか。
そういうものが本当はどんなに貴重で、手にしている人には当たり前でも、手に入れられない者にとっては、どんなにか憧れの対象で、絶対に手に入らなくて、努力とかそういうことでは補いきれないものなのか、知っているから。
私の彼女が私の子供を欲しいと思った時、私が彼女に私の子供を産んで欲しいと思った時。或いは逆の立場でもいい。
「その代わり」の何か、どんな素晴らしいものを二人で築けたとしても、代わりは代わりでしかなく、私達が本当に欲しいと思う、私達の子供を誰も授けてはくれない。

無責任な励ましを口にする人達は、何も与えてはくれないのだから。

せめて、あなたが幸福になれる可能性に賭けてはいけないだろうか。
せめて、私に会う時ぐらい悩みから遠く離れ、安心していて欲しいと願ってはいけないのだろうか。
笑っていて欲しいと、それだけでいいと、
あなた自身を望まないことが悲しいだろうか。

欲望のままに、苦難も悩みも共に、ふたりになることを選ぶことが、
選ぶことだけが、素晴らしいだろうか。


幸福でいて欲しい。
片思いを続けるという選択が、エゴイズムでも。


その場凌ぎでも何かの代わりでも慰めでも暇潰しでもいい。
落ち込んでいても泣いていても、笑っていても幸福でも不幸でもいい。
その声を聞かせてくれさえすれば。

あなたが私を思い出したと知るだけで、
ささやかな幸福の花がここに咲く。

2004年05月06日(木)
初日 最新 目次 MAIL


My追加