子供ができたことと死んだこと。 年末年始は人が死にやすいんだろうか? D論執筆真っ最中の年末年始も学部の先生が倒れて亡くなった。
早朝、妹その1から電話があった。祖母が亡くなったという。 母の姉妹が帰省するとのことだったのだが、それを待ち構えるかのように倒れて逝ってしまったらしい。 この時点で葬儀に出席することを当然に思った自分が不思議だった。
通夜と本葬をいつにするのか二転三転していた。 本来なら29日通夜30日本葬または30日通夜31日本葬 となるのだが、さすがにこの帰省ラッシュでは間に合わない人たちが続出。 2日通夜3日本葬だと、正月三が日に忌みごとはちょっと‥ということで3日通夜4日本葬 ということに。 ちなみに日本では死んでから24時間の間に火葬をしてはならないことになっているらしい(参照)。生き返る可能性も見越してか。 3日の15時にうちを出て4日の8時に火葬の後本葬を行うことになった。
ということで妹その1に妹その2へ連絡させたら、多分私は行けないわ、という返事。 なんとこいつは25日から切迫流産で入院中だという。そもそも子供ができたこともしらんがな。 連絡とるのも久方ぶりだと入る情報すべてが急に聞いた話になる。 話のついでに連絡すれば良いか、と思ってたらしい。 話のついで、すら人が死なないとないというのに、どういうついでで話ができると思ったんだろ? 予定日は3月末らしいが、早いともう一人の子の卒園式に出られなくて、遅いと入学式に出られないという。 ああ、入学祝いと出産祝いが同時にくるのか。まあ、私らの代わりに少子化軽減に貢献してるのだからいいんだけど。
祖母は私が4歳か5歳ぐらいのとき一緒に住んでいた。 あまり詳しい事情は知らないのだが、母が倒れて入院していたのと、なぜか父が別の仕事でよそに行っていたためである。 だからどうだ、とかいう感情は全くないのだが、もう生きていないのか。 この祖母は昔の日記に出てくる「学会へ行く」を勘違いした人である。
卒研生には不在時の宿題を与えておいた。 年賀状は1月2日書くことにしていたのだが、どうやら喪中はがきを書くことになりそうだ。
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