三楽の仕事日記
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2010年08月17日(火) 第42回学習工学セミナー「教育におけるメディアと情報」

 休暇を取り、名古屋情報メディア専門学校で開催される「第42回学習工学セミナー」へ向かう。

 午前中は、名古屋大学大学院の柴田好章先生の「ICTを活用した授業設計・展開・評価」のワークショップに参加。

 理論編は「ICTの日常化」「ICTによって教科の授業はどのように変わるか」「何を目指すべきか」「ICTの活用法分類」などをテーマとした講義。

 実践編では、3つのICT活用授業映像(ダイジェスト)を視聴。その後、「実践場面の観察から学んだことは何か?」をテーマに自己ワーク。グループで話し合い。

 質の高い「自己ワーク」ができるパワーポイントシートが気に入った。「ICT活用キーワード」が30個ほどパワーポイントシート上においてあって、視聴した授業から学んだこととそのキーワードと照らし合わせて、当てはまらないキーワードを削除。残ったキーワード同士を関連づけして、その理由を書くと、だれもが授業の価値付けができるというシートだ。

 午後は、「ICT活用と言語活動の充実」と題した中川一史先生(放送大学)の講演。ICTを活用した授業場面(動画も含む)をたくさん提示されながらの実に説得力があるお話。常に学校現場を大切にし応援されている先生の日常を垣間見ることができた講演だった。韓国・モデル校での情報端末一人1台での授業映像を、皆さん食い入るように見ていたのが印象的。その授業者の「一人一人が把握できない」というコメントも記憶に残る言葉。

 続いてシンポジウム。コーディネータは名古屋大学の大谷尚教授。パネリストは、中川先生、柴田先生、長谷川元洋先生(金城学院大学)と僕。

 このシンポジウムは、皆さん信じられないだろうけれど、例年、まったく打合せがなく、それぞれが中川先生の講演を聴いて感じることをメモし、それをもとに誰かが話だそうという程度の取り決め?がある程度。(僕がこう思っているだけで、例年、大谷先生からはまったく指示はない)

 どうなることかと思いながら着席。1時間30分のシンポジウム。結果として、とても面白い話し合いとなったと思う。

 僕は「学校教育に関する懇談会」の委員として、韓国の一人1台情報端末授業を引き合いにして、懇談会での論議や教育ビジョンの骨子を紹介。

 どうも日本の経済界には、「教師が子どもの学びを止めている」と思っている人がいる。「情報端末に小学校1年生から高校3年生までの教科書を入れたら、子どもはドンドン学ぶ」というように、「集団による学び合い」を否定しているような方がある。皆さんはけっしてそのように思ってみえませんよね、と念押し。

 柴田先生が僕の発言に過敏(笑)な反応をしてくださることもあって、論議が盛り上がる。皆さんの発言でメモしたこと多数。

 電子黒板を使った授業は、次から次へ情報提示される。子どもは何を持って帰ればよいか。
 残響性のあるのは黒板のみ。黒板の残響性や一覧性の良さに気付いていない教師が多い。
 教師と子どもが持つメディア(子どもはノートだけ)の差が大きすぎる状況になりつつある。これはよいか。
 「持って帰る」という言葉は、伝達型の教育観。それでよいのか。
 情報を持ち帰るのが教育ではない。コンテンツを受け取るだけの教育はダメ。
 持ち寄り型の教育が必要。
 その持ち寄り型の教育における子どもの評価はどうするのだ。
 日本における集団の学びのよさが、海外へ伝わっていても国内に伝わっていない悔しさあり。 

 日本語は読めないと調べられない、辞書は読めないと調べられない。
 欧米では綴りで調べられる。
 日本語の特性によって、日本の教師の権威が保たれている。
 教師の専門性はどういうところにあるのか。

 空気を読む子どもに教師は支えられている。
 教科書に書いていないことは聞かない、教師が知らないことを子どもは聞いてはいけないと思っている。
 子どもの配慮で支えられている教育があるのでは?

 本当に「協働教育」(教育の情報化ビジョンにある言葉)に向かえるか?


 夜は、地元のみなさんとの懇親会。中学校の恩師をはじめ、これまでお世話になっている方がずらりご列席。伝統的なとても良い会に参加させてもらった。楽しい時間はあっという間。


2009年08月17日(月) 第41回学習工学セミナー
2008年08月17日(日) 発刊「情報化時代の学校変革力」
2007年08月17日(金) 教育長室にて
2006年08月17日(木) ビデオ編集作業
2005年08月17日(水) あちこち諸連絡
2004年08月17日(火) 和歌山から戻る
2003年08月17日(日) なんという夏!