三楽の仕事日記
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2007年01月07日(日) |
志水塾本大会2日目に参加 |
昨日、今日と恒例となった愛知教育大学での「志水塾」本大会。今回は2日目だけ参加。7時に30分に家を出て大学へ。
いつものように元気のよいスタッフ、よく働く学生さん、そして全国各地から集まった意欲的な参加者で、志水塾プログラムは順調に進む。僕も一応スタッフの一員として各講座に参加。ほとんどお役に立つことはないけれど、塾の立ち上げにかかわった人間としては、今年もこういう空間に参加できたことは、とてもうれしいこと。
今年は「○つけ法・意味付け復唱法・ヒント包含法の実技を通した習得」がメイン。なるほど、なるほど!と思うことばかり。例えば、意味付け復唱法は、自分では一応身についている技量だと思いつつ、どうやって、いつごろ、こうしたことが身についたのだろうかと自問自答。いろいろなことを思い出した。
とにかく子どもの言葉を聞き、子どもの言葉で授業を創ることにこだわってきたことは確か。そして子どもの発言への数学的な価値付けを意識して指導言を発してきたことも確か。
自分の授業が大きく変化したと思うのは、味岡中学校時代の後半から。向山洋一さんの国語実践を読んで、子どもってこんなにもおもしろいことを言うのかと思ってから。それから課題を工夫して自校の子どもにぶつけてみたら、こちらが思いもよらないことを子どもたちが言ってくれた。授業は自分が頑張るのではなくて、子どもが頑張るべきものだと自覚。僕は子どもの発言をつないで、つないで、みんながゴールに到達するようにすればいいじゃないかと思えるようになった。そんなときに附属中学校へ異動となった。
附属中の子どもは強烈だった。追究の鬼みたいな子どもが何人もいた。こんなアイデアもあるのかと子どもに教えられたこともあった。当然といえば当然なのだけど、しっかり発言を聞いていないと子どもに怒られた。発言を生かさないと腐ってしまう子どももいた。教師の力量の品定めを平気で口にする子どももいた。「教師が授業プロなら、子どもは授業を受けるプロ。いい加減な授業をやっていたら、子どもに潰される」と言った先輩がいた。毎日、毎日、今日の授業を受けて、明日の授業をどうしようかという状況だった。僕は一人一人の子どもに舞台を用意することに全力を注いだ。そしたら、授業がさらに面白くてしかたがなくなって、一生、この子どもたちと数学を学び続けたいと思うようにもなった。
先んじて勉強している子どもも多くて、ごく普通の単元導入では子どもは満足してくれなかった。深い教材研究が必要だった。「玉せん(僕はこう呼ばれていた)は、今度はこうきたか!」と僕の考えた課題を生意気に評価する子どももいた。今でも何人かの子どもの数学ノートが手元にある。僕と子どもたちの数学の授業記録集だ。几帳面な子どものノートばかりだ。なぜなら、授業で出た仲間のアイデアもしっかりと記録してあるからだ。絶対に二度と手に入らない宝物だ。
自問自答の答は結局は子どもの力を信じることだ。神谷さんが参加者にアドバイスしていたことと同じ。俺が、俺が・・・という状態では、いい授業はできない。そして学校経営も同じ。
一番楽しみにしていたプログラムは、大西貞憲さんの講演。会話は頻繁にしているのだけど、まとまった話を聞くのは久しぶり。タイトルは「算数・数学教育に求められるもの −子どもの考える力を伸ばすために−」。期待通り、シャープな主張が続く。「何のために算数・数学を学ばせるのか」という問いかけは、単に「○つけ、復唱の技術習得」だけに気持ちがいっている参加者にきつい一発。響いた人がたくさんいることを祈るばかり。志水塾運営メンバーには、「今後の塾のあり方を提言した一言」と僕は解釈した。ここのところ、「本物の数学授業ができるようになる研修」を考えましょうと意見交換をしている延長にある主張と理解した。今月13日には、長野の井出さんのお計らいで、僕の数学授業づくりを主とした研修会をやらせてもらえる。今日の大西さんの講演とできるだけオーバーラップする内容にしようと決意。今日もまた、とても良い刺激をもらった。
小牧の方に戻ってきたら、雪が目に付くようになった。小牧−多治見間の高速道路閉鎖、名古屋高速閉鎖には驚いた。
夜はベネッセの大谷さんが送っていただいた「情報モラルガイダンス」を見て勉強。スクールネットのアイデアをまとめて小西さんらに送信。
2006年01月07日(土) 原稿3本送付 2005年01月07日(金) 30分ほど思わず語ってしまう 2004年01月07日(水) 授業検討 2003年01月07日(火) 第3学期始業式
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