三楽の仕事日記
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2005年10月21日(金) 講談授業最終日

 今日も桃花台センター駅へ南海さんのお出迎え。朝の打ち合わせで、11月2日のNHKぐっとイブニングの収録の連絡。今度は「エコライフのうた」が話題。出演者募集のお知らせに職員室盛り上がる。「先生も出演可能?」と質問あり(笑)。「けっこう、けっこう、こういうノリでいきたいです、我が校は!」

 1時限目。昨日と同様な流れで「講談&社会科」授業展開。今日の講談ネタは岩崎山の残念石。昨日も感じたことだが、子どもたちはあまりにも地元のことを知らなすぎる。ネタに出てくる「味岡」という地名さえ、正しいかどうかも分からない。この土地のことを考えればしかたないことかもしれないけど。そういう点でも、総合的な学習の時間での、「地元のいいとこ調べ」や「桃花台百話づくり」の意義は大きい。

 今日は南海さんの講談が始まっても、そわそわする生徒一人あり。気になって仕方がない。ところが話が深くなってくると、その生徒も正対して動かなくなってしまった。リズム、迫力、展開、これを伝えたいという強い意志、すなわち芸の勝ち!

 そういう点では、社会科教師からのメッセージ力はどうだったのか。ほどよい流れだっただけに、教師のつなぎ言葉に「歴史を学ぶ楽しさとはこういうことなんだ」といった強い投げかけがあっても良かった。もちろん、まったく白紙の状態からここまで授業を創り上げたのだから、それだけですごいことなのだけど、やはり、ここで満足してはいけない。芸への飽くなき追求があるように、授業も同様でありたい。

 3時間目は選択社会科の授業。坂下さんが悩みに悩んで考えた授業。「講談は史実と史実をつなぎ合わせるもの」ということから、子どもたちに事前に「本当のようなウソ歴史物語」を書かせての授業。26名の生徒の作文から南海さんが一つ選んで、それを講談に。選ばれた作文は「松尾芭蕉は実は忍者だった」という話。南海さんの手にかかり、実にそれらしい話に仕上がる。

 そして、次に落語でいうところの三題噺。江戸時代と限定して、子どもたちからそのころの人物と出来事を出させる。出たことをできるだけ入れて、即興で講談をしてもらうという設定。ペルー、井伊直弼、助さん、格さん、参勤交代・・・など、15ものフレーズを入れての即興講談。子どもたちの感想の8割は「南海さんは頭がいい」だったそうだ。

 振り返ってみれば、4月、伝統文化のモデル校として「講談&社会のコラボ」をやってみないかと提案したのは、もちろん僕。何か具体的にイメージして提案したわけではない。伝統文化→講談→旭堂南海さん→歴史物→社会科授業という図式だけが思い浮かんで提案してみた授業。まず、とりあえず大阪へ南海さんの講談を聞きに行こうと、強行軍を組んで坂下さんと出かけた4月末。坂下さんは本当に大変だったことと思う。随分と無理を言った。昨夜の懇親会の挨拶で思わず出た言葉は「やはり、何事もやってみて分かる。今日この日があるのは、我が校の社会科の面々、そして南海さんもそんなことはできっこないと否定せず、僕の提案を前向きに考えてくれたからこそ。これがなりよりうれしい」。

 プロを三日間も朝から夜まで拘束した今回の企画。本当にわずかな、わずかな、わずかな謝礼で来ていただいた南海さん。それなのに、すべて小牧版オリジナル講談という離れ業。今度こそきちんと予算をとって、ぜひ多くの子どもたちに講談というものも聞かせてやりたいものだ。プロジュースは校長の仕事。なんとか動いてみたい。

 南海さんは、小牧山散策をして岩倉から大阪へ。濃密な三日間がお昼で終わって、全身の力が一気に抜けた感じ。

 5時間目は竹嶋さんの音楽研究授業。まさに教師の一生懸命さが子どもを動かした授業。歌の出来を引き上げるのだ!という熱意が見ている方にもビンビン伝わってくる。指導技術などではいくつか気づいたことはあるけれど、それよりも大切なことを見せてくれた。

 6時間目は体育館で2年生の合唱リハーサルを見る。本番までの追い込みが楽しみ。

 長江さんと来年度構想で相談。学校HPは講談をネタに更新。定番のお仕事をこなして、久しぶりに18時前に退校。

 夜にも学校HPを更新。山となった日本教育新聞や雑誌に目を通す。
 


2004年10月21日(木) 学校訪問終わる
2003年10月21日(火) 尾張教育研究会で助言