三楽の仕事日記
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2005年01月30日(日) 2005年の教室を考える会二日目

 午前中は「2005年の教室を考える会IN中部」二日目に参加。9つのグループに分かれてワークショップ。「ITの日常化に向けて、明日からどう動いたらよいか」という課題。僕は愛知1のグループの進行役。教員4名、企業4名での討議。ひょんなことで、三ツ渕小の筒井さんに「今日から僕の教室にプロジェクタとコンピュータを持ち込みます」と朝の打ち合わせで宣言させてしまうことに。そして支援してもよい企業さんは機器の提供を、という展開に。抽象的な提案が多い中、我がグループは極端なくらい具体的。最後に「これがうまくいったら、我が校でもやります」には大爆笑してもらった。さてどうなるか。
 
 それにしても、各グループからの発表を聞いていると管理職への期待というか、管理職の理解のなさというか、「校長先生に・・・」というフレーズの多さが立場上気になった。校内のIT活用を広げるには管理職の理解がなければということなんだけど、具体的には何を期待されているんだろうか。思い出すのは、確か昭和61年。「学校にはコンピュータが必要です」という何度も教頭に懇願していたら、一気に2台もコンピュータを購入してくれた。「玉置さん、1台では物足りないだろうから2台買ったよ。あの機械が動くかどうかは、あとはあなたの人間性」と言われた当時の八木教頭。2台にもびっくりしたけど「あなたの人間性」という言葉にゲッ!とした。今思えば、この言葉は実に的を射ている。

 附属中に転任して、平成2年にコンピュータを使った研究授業をした時に先輩に言われた言葉。「子どもが喜んでいたのは、コンピュータを触れたからだよ」悔しかった。僕の授業力は認めてくれないの?それならと「我がクラスにはコンピュータを常設します。コンピュータが日常化をすれば、コンピュータを使っただけで授業が楽しいという子どもはなくなるはず」と校長にかけあって認めてもらったあのころ。もちろん、学校からの援助はないから、大須で中古のPC98VMを購入。中古でもけっこうしたよな、あのころ。「玉置さん、そんなことしたら、すぐにコンピュータが壊れるよ、後悔するよ」という一言でさらに燃えたことも思い出す。でもコンピュータを使った授業後のアンケートには必ず「コンピュータが使えて楽しかった」という記述がいくつか。こどもなりに僕が新しい数学授業に挑戦していることを認めているのかなという気持ちにはなった。厳しいことを言った先輩が「あなたの作ったソフトを使って授業をやってみたい」と言ったときは、とうとうやったぜ!という気持ちになった。ひさしぶりにいろいろなことを思い出した日となった。

 名古屋から小牧へ。「小牧市交響楽団定期演奏会」のお仕事。裏方としてお手伝いのはずだったが、車で向かっている途中から極端に体が不調。駐車場でシートを倒して休んでいる内にいつしかかなりの時間が経過。明日からスキーの引率。迷惑をかけてはと思い、お手伝いができないことをお詫びして帰宅。横になる。体調が幾分戻る。

 夕刻からお世話になった方の通夜に再び名古屋へ。この方は僕の人生を変えた方の一人。この方との出逢いがなければ、今の自分はない。どっぷりと授業研究にのめり込める環境を与えていただいた方だ。本当にありがたい。感謝そして合掌。

 夜、三ツ渕小の校長、教務主任さんに「2005年の会」の内容報告と筒井さんのやる気と企業からのTELの可能性について電話連絡。了解を取り付けて、さっそくMLで報告。動いたよ、僕は、ちゃんとね。

 「熱血!ジャージ校長奮闘記」(著 鈴木高弘)を読み始めたら止まらず。すごい高校があったものだ!指導最困難校の実態を知る。生徒もひどいが教員もひどい。「校長が変われば学校が変わる」どころか「校長が闘えば学校が変わる」という小見出し。まさに闘いの記録。

 明日からのスキー引率の準備完了。現地での通信事情が心配。


2004年01月30日(金) とうとう本格的な風邪
2003年01月30日(木) 雪の朝