CYMA’S MURMUR

2004年04月21日(水)   プラマイゼロの法則

幸せ(そう)な主婦、
のサイトを見るのが、私は割と好きだ。

お料理・インテリア・ガーデニングなど、
生活の端々を丁寧に紡いでいく感じと、
ゆっくりと時間が流れている雰囲気。

普段はただ夢見がちにそれらのページを眺めているのだけれど、
ときどき、ふいに、やりきれなくなる。

それは、彼女達が持っていて、私が持っていないもの、に、
思いが及ぶ瞬間だったりする。

優しい(に違いない)ご主人、可愛い(はずの)子供、
素敵な(ように見える)家、そして絵に描いたような暮らし。

そういう見方は全くもってフェアじゃないし馬鹿気ている。

いつだって隣の芝生は青い。



いつの頃からか、私は「プラマイゼロの法則」を信じている。
何か本で読んだのか、誰かが言っているのを聞いたのか、
それらを自分流にアレンジしたのか、出典をさっぱり思い出せないけど、
私にとっての「プラマイゼロの法則」とは以下のようなことだ。


  ものごとには、必ずプラスの側面とマイナスの側面がある。
  それらは表裏一体であり、プラスだけ、マイナスだけ、ということはありえない。
  そして、プラスとマイナスは常に釣り合っている。
  よって、ものごとはすべからく等価である。
  つまり、プラスマイナスゼロである。
  
  ものごとの良し悪しは、判断する人の価値観によって決められる。
  価値観は多様であり、評価とは流動的なものである。

  何に重きを置くか、という価値観と、
  その価値観にどこまで忠実になるか、バランスをとれるか、
  ということが、人間の個性である。


誰かが幸せで私は不幸せ、という構図は成り立たない。
私を取り囲む環境もものごとも、すべてゼロなのだ。

その状況に意味を付加するのは私。

単純な例をあげると、
 (A)お金が沢山ある
 (B)お金が必要な分くらいはある
 (C)お金がない
どの状況も、ポイントとしてはゼロだってこと。

その状況に置かれた人が、
どの程度の経済力を求めているかということのみが
(あくまで個人的な)評価を可能にする。

大金持ちは大金持ちで、それなりに大変なこともあるだろうし。
お金がなくても自由であればそれでいいって人もいる。



この「プラマイゼロ」を導入することによって、
私は自分が無闇に落ち込むのを防げるようになった。

確かに、優雅な暮らしをしている主婦の方々は羨ましい。
しかし彼女達にだって、子供がいるからなかなか出かけられない、とか、
その暮らしと表裏一体のマイナスポイントがあるはずなのだ。

そうして、自分の望む指標のポイントをあげる方向へ動いていくのが人間なのだ。
いくら隣の芝生が青くても。

私が欲しいのはある程度の経済力と、ある程度の余暇、
そして煩わされない人間関係と、少数精鋭の頼れる人、
退屈しない日常に、ストレスフルでない仕事。(欲張りメ!)

2次元にはとどまらない座標の中で、
私のやじろべえはグラグラゆれている。

転職により経済力をアップしたら、余暇がなくなったし、
でも人間関係は好転した、ただしそれなりにストレスのある仕事・・・

現状に満足しているわけではないけど、
客観的に現状を評価すればやっぱりポイント・ゼロだと思う。



だから、他人を羨むのはやめよう。
自分の軸を動かせるのは自分だけなのだから。






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