いぬぶし秀一の激辛活動日誌

2014年12月20日(土) 悪夢から一週間が経った…

 悪夢のような衆議院選挙の開票から一週間が経った。事務所の後片付けに忙殺され、さらに追い打ちは供託金没収回避まで900票弱足らず、300万円は国庫に没収、さらに公費で負担されるポスター代金、ガソリン代、運転手日当、宣伝車レンタル料、看板代などが自費になったことだ。

 とは言え「政治資金を集めるのも政治家の器量」だとすれば、泣き言は言うまい。粛々と昨日支払いをすませた。多くの方々から「次はどうするの」と聞かれるので今回の選挙の総括を行ってみたい。

1,石原慎太郎御大のこと

たちあがれ日本から太陽の党への移行は良かった。その数日後には、日本維新の会に合流。これは、御大が決定したことだったそうだ。はたして、石原新党が50%近い支持率を報じられたことを思うと、この決断もどうだったのだろうか。太陽の党のままのほうが、今更だがよかったのではなかったか。

さらに、日本維新の会からの分党も15分の石原、橋下会談で決定された。そもそも細かい政策面では合わないのは、周囲が認めることだったのだから、当然なのだが、一般の有権者には「コロコロ政党名が変わる」としか映らなかった。保守層には大歓迎されたが、残念ながら大きなうねりにはならなかった。

もうひとつは「石原家」のことだ。杉並区長だった山田宏氏(幹事長)は、なぜ地元杉並区(東京8区)で出馬できなかったか。それは、石原御大の息子、伸晃氏の選挙区だからと言われている。さらに、東京3区にも維新、次世代共に候補者を立てなかった。ここは、やはり息子の宏高氏の地盤だ。

実際、石原御大ご本人が立てないと決めたのか、取り巻きが遠慮したのか定かではない。

東京12区、太田国土交通大臣の選挙区に入った石原伸晃氏は応援演説で「うちは家族の絆が強いのでオヤジは田母神さんの応援には来ないと思います」と述べた。嗚呼!!

2.結党後、あまりにも時間がなかった

8月1日に次世代の党と命名して船出をしてから4ケ月で選挙はきつかった。党名がまったく浸透していなかった。また、「次世代」という命名には最も投票率の高い「中高齢者層」に受けが悪かった。

その点では、結いの党の反対を押し切って「維新」の名前を残した日本維新の会分党後の「維新の会」の判断は、マーケテイングとしては大成功だった。分党協議の際「維新」は双方使用しない、という協定を結ぶべきだった。

大田区でも、次世代の比例票は12,425票、維新が28,803票、いぬぶし個人票は20,108票。次世代の比例票より個人票が多いのだ。また、維新、次世代の票を足すと、前回私が獲得した44,999票に近い票になる。

3.では、今後は…

今回の選挙を支援してくれた大田区議会議員選挙公認内定者が2名いる。当面は、かれらの絶対当選が、私の命題である。ちなみに、大田区職員さんや区議会が恐れている「いぬぶしの区議会議員復活」は、絶対にないから大丈夫!ご安心。

では、次は?これは自分だけで決めるべきことではない。多くの支えてくださった仲間、先輩諸氏、さらには党本部の考え方に添う、としか申し上げられない。ただ、公式の場での発言の機会を奪われた(勝手に区議を辞めた!)立場は、実は辛いのも事実であるが…


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