2014年03月20日(木) |
事件の本質を見極めよ!最近の凶悪事件より |
凶悪事件が起きると、被害者には憐れみの目が、加害者には怒りの目線で報道が行われ、視聴者たる我々も「かわいそう」とか「とんでもない犯人だ」と決めつける。
しかし、そのような凶悪犯罪の再発を防ぐ意味でも「事件を起こす本質」を見極めることが法務当局や教育担当者には求められるのではないだろうか。その「本質」とは、各事件の仔細を承知している訳ではないが、一言で言えば、被害者(後述の柏事件は除く)、加害者の生育過程つまり家庭に問題がありと疑わない。
昨年末に起きた市川女性殺人事件は、元交際相手の男性が22歳の女性に復縁を迫って逆上して殺害したものだ。この短絡的行動にはなんの情状の余地はないし、若くして世を去った女性のご冥福をお祈りするが、少し考えてみたい。
女性は、この当時、他の元交際相手との間に金銭トラブル(貸した金返せ)を抱えており、殺害前にこの二人とは別の男性と、また別の男性との間の子供(3歳)とともに同棲を始めた。無職でありながら子供を保育園に預けていたという。
はたして、22歳で3歳の子供、この父親以外に3名の男性、さらには無職で保育園。「普通」だろうか。彼女の生育過程を精査して欲しい。私は、若いうちはいくら恋愛をしてもいいと思う。しかし、別れるにしても「礼儀」がある。芸能人が離婚したり、交際が破たんすると相手を罵る輩と、相手を思いやる者と二通りになる。いままで「幸せな時間を共有した」のだから、別れも相手を思いやる配慮が必要だったのではないだろうか。
柏の連続殺人事件の竹井聖寿容疑者(24歳)は、無職でありながら、親から資金援助を受けてマンションに移り、生活保護を受けて暮らしていたそうだ。逮捕された瞬間の「チョックメイト」という言葉や、連行される際の奇声を発する映像など、到底まともな教育環境で育ったとは思えない。家庭と生育過程から、この事件の真相が見えてくるはずだ。
さらにベビーシッター殺人事件である。無資格のシッター物袋勇治容疑者(26歳)が預かった兄弟のうち2歳の子供を殺した事件だ。預けた母親はまたもや無職のシングルマザー。月に何回かシッターを利用しているそうだが、はたして無職の女性が0歳と2歳の子供を見も知らぬ他人に何日も預けなければいけない用事とはなんだろうか。パチンコに興じて我が子を車内で殺してしまう母親と、どこが違うのだろうか。
彼女がシングルマザーになった経緯と「用がある時は父親に預けていた」という、家庭環境も調べて欲しいものだ。さらに、ひどかったのは、物袋容疑者の両親だ。自分の息子が人様の子供を殺めたのに淡々とインタビュに答えていたのにはあきれた。この家庭には大問題ありであろう。
小学校や中学校で問題児童、生徒が発生すると学校も教育委員会も「本人」の矯正や指導に専念するのが常だ。実は、問題児童や生徒の後ろには必ず「問題家庭」が存在することを、教育関係者なら異論のないところだろう。そこ(家庭や親)に、どう切り込んでくのか、公教育の限界との戦いでもある。
遠くて時間がかかるが、実は最も確実なのは、将来の父親、母親たる子供たちに「正しい道徳教育」「精神教育」「宗教観教育」を行うことだと思う。
先日、ある大学院のボランテイアの学生に話を聞いた。彼らは、社会貢献の一環として少年院の生徒たちに授業を行っているのだそうだ。「民主主義」を教えるために「給食のメニューを多数決で決める」というテーマで話を始めた。ラーメンがいいのか、焼き肉がいいのか。多数決で決めても「いやだ」と言う者がいたらどうするか、そんな授業だったそうだ。すると、ある生徒(少年院の)が「僕は生れてから焼き肉を食べたことがない」と発言したというのだ。
確かに私も父子家庭で、焼き肉とかすき焼きなるメニューがこの世に存在するのを、15歳で自衛隊生徒に入校するまで知らなかったが、当時とは肉の値段が格段に違う。焼き肉を食べさせられないほどの極貧だったのか、焼き肉を家族団欒で食べれる和やかな家庭ではなかったのか。
いずれにしても、この生徒が何を犯して収容されたのかわからないが、荒んだ家庭(親)の犠牲者ではないだろうか。
今こそ、この国を再興させるために、家庭の教育力を見直さなければなるまい。
**なお、本稿の趣旨とは別に被害者のご冥福と、加害者の矯正更生を願ってやまない**
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